私は人とした話を基本的に覚えている自信があるのだけど、人は皆びっくりするくらい私の話と私にした話を覚えていない。それは別にいいし、単純に私が他人と話す機会が少ないから覚えていやすいというだけだと思うのだけど、所詮そんなもんなんだなと思うと消えてしまったみたいで悲しくなる。

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最近よく結婚コンテンツを見る。理由は私が見ているコンテンツの人たちが結婚しだしたからなのだけど、そこで「妻が料理上手で、料理は妻に作ってもらってます。へへ」みたいなものを見ると、「お前も作れよ、料理くらい。家父長制宣言か?」と思ってしまうので私はネットに毒されてるなと思う。

奥さんに料理を作ってもらって何が悪いんですか?幸せだからやっているのだろうと思いつつ、なら言葉が間違っているよなと思う。「料理が上手で」ではなく「料理が好きで」とかにするべき。

ただそんなこと誰も気にしていないので、私はもうネットから出ない方がいいのかもしれない。

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小説を書いてる。小説を書くのは楽しい。作品のデキとかは正直関係なくて、書いてて楽しいかどうかが大切。売り物を作っているわけじゃない。

人生で幸せなことランキングを作るとすれば、第一位は「楽しく小説を書けているとき」になる。よくわからない快楽物質が脳から出てる。やるべきこととやりたいことが重なっている感じがしてとても良い。ちなみに第二位は「良い小説を読んでいるとき」、第三位は「良い小説以外の作品に触れてるとき」になる。やるべきこととやりたいことが重なると気持ちがいい。少し離れて第四位は「散歩」。やるべきことでも、やりたいことでもないが、単純に気分が良くなる。

あとは美術館に行くのも結構好きだけど、これは第三位のやつに含まれる。自分で作った料理が案外美味しかった時も幸せランキングにランクインさせても良いかもしれない。

幸せってなんなんだろうなとよく思う。他者を幸せの定義に入れないようにしている。別枠のような扱い。幸せは自らの手で管理すべきだというのが私の考え。管理できないのならそれは幸せではなく奇跡とかそういったものになる。

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 勇樹どう考えているかわからないが、加奈の人生にとって結婚するというのはとても大きなことだった。それは世間が考えるものよりも一大事だった。なぜだかはわからない。加奈は子供のころから漠然と、自分はそれなりの年齢で結婚をして子供を産んで、そういった当たり前の人生を歩んでいくのだろうという予感があった。そして現に今そのルートを歩んでいる真っ最中である。しかし逆に瑠々はそういった人生を自分が歩むなど考えもしなかっただろう。明確にふたりの人生はある時点で分岐したのだ。瑠々は香川へ行き、そこで家族と縁を切った生活を送っている。加奈は地元は出たものの、遠く離れることはなく両親が望んだとおりの人生を生きている。

 そのことに対して両親を恨んだり、瑠々を羨んだりしているわけではない。ただ不安なのだ。今が人生の絶頂で、これから先の人生は落ちていくだけなのではないか。もしくはこの選択は間違いで、まったく別の人生のルートがあったのではないか。そんなことを考えると眠れない日々が続いた。もし加奈が落っこちたとき、その落下先で誰が受け止めてくれるのか。きっとそれは瑠々しかいないと加奈は思った。

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小説を書いていると、昔と書くものが変わったなと思うことがよくある。書き始めた大学時代から私という人間の変遷を追える。私としては日記よりも小説の方がそういったものが現れていると思う。日記はずっと同じことを書きつづけている気がしてならない。

ただ、私しか私の小説を読んでいる人間はいないので、そのことに私しか気づけず、誰にも理解共感を得られないことがとても残念。孤独。私は小説を書き始めてから孤独になったと思う。

https://note.com/qa/niko2_5_