日記(デジタルデトックス、小説、大ゴッホ展)
デジタルデトックスをしようと、ふと思い立って朝からインターネットを避けてみている。あんまり効果は感じない。ちょこちょこツイッター開いてるし、こうしてnoteに投稿しようとしているし。なんとなく音の鳴るものを聞かないようにしている。YouTubeとか音楽とか。効果があるのかわからないが、小説がたくさん書けたのでよかった。しかしソワソワする。YouTube見たいし、ゲームやりたい。
昨日小説が消えてたと独りで大騒ぎしたが、その分を書いて、またさらに追加で書けた。まったく違うものを書くことになるだろうなと思ったけど、ほとんど同じものを書いた。私の小説にはプロットというプロットがないので中身を自由に変更できる。ただ結局同じものを書いたので、これが正しいのだろうなと思う。
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恋と幸福と安心は似ている。恋は幸福で、幸福は安心だからだろうか。A=B=Cならば、A=Cである。しかし恋と安心は似ていない。瑠々にとって恋は不安を綿の代わりに詰め込んだ人形のようなものだ。人形は幸福が具現化したもので、安心感がある。
「ねえ、瑠々、好きな人と一緒にいるってどんな感じ?」
いつだったかそんなことを聞かれたのことを思い出す。なんて答えただろうか。恋がわからない彼女に。もし本音を話すことが許されていたのなら、瑠々はこう答えただろう。最高と最悪。
そんなことを考えながら、瑠々は綾香の帰りを待つ。私の最高と最悪の人。
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noteというか日記を書いた方がいいのか、書かない方がいいのか考え中。最近はゲームに生活を支配されていたなとデジタルデトックスによって気づく。日記?そんなもん書くくらいならゲームやった方がいいでしょ!というスタンス。
ただ、きちんとnoteに投稿できているときは生活として良い感じだよなと思う。何かしら書くことがあって、それを書く時間と気力があるということ。
そういえば昨日大ゴッホ展に行ってきた。まあまあ混んでて、まず入り口で並ばされたので、ディズニーランドにでも来たのかと思った。展示室内も混んでいてロクに絵が見えなかった。目玉の夜のカフェテラス?にいたっては、流れ作業のように並ばされて、歩きながらのご鑑賞だった。もういっそアトラクションみたいに乗り物に乗って観覧すればいいのでは?と思った。
舐めてんのかと思ったけど、夜のカフェテラスを見て、まあ元は取れたのかなと思うくらいにはよかった。美術についてはいつまで経っても無知なので、どこかで軽く勉強したいなと思っている。とは言っても私は小説についてだって体系的な知識は何ひとつ持ってない。
反知性的なものはダサいけど、かといって知識ばかりを詰め込むのも本末転倒な気がする。しかし最低限の知識がないと読めるものも読めないので、結局なんとなくでも知識は持っておく必要がある。でも私はなんにも覚えてられないんだよな。