小説を書いてる
午前中は小説を書いた。4時間くらいかけて、3000字くらい書いた。とりあえず動き始めたので一安心かなと思う。
午後も書こうかなと思ったけど、一度流れを切ってしまうと上手く書き始められないことが多い。それに私には現実世界で生きるために、やらなければいけないことがある。買い物とか、、、まだ行けてないけど。やらなければいけないこと、考えなければいけないことをすべて無視して生きていけるようになりたい。
私は規則的に生きている。そうしなければいけないという強迫観念がある。きちんと寝ないとすぐ体調を崩すし、きちんと食べないと瘦せて死んでしまう。
メリハリをつけたい。小説を書くときはそれ以外をしない。書かないときはそれ以外をする。どっちもやろうとするからいけないのだ。どうしたものかなと思う。
部屋の模様替えをした。私は定期的に家具の配置を変えてる。今日は机の向きを変えてみた。あとはカーテンを外した。
明日は晴れるらしいので、明日に期待。
無印良品に行ってきた。混んでたし、すごいレジで並んだしもう二度と無印週間中は行かないことにした。少なくとも休日に行くべきではなかった。こういうくだらない催し物を拒否するために私は働いているのではなかったのか。
↑昨日 ↓今日
ポケモンの先頭BGM集を聞いて、ポケモンのBGMってかっこいいよなと思う。ポケモンをやったのは子供のころだし、半分くらいはやってないのでほとんど知らないのだけど。世代なのでやっぱりシロナ戦が好き。ボス戦の心臓のドキドキに合わせるようなテンポの良い曲は興奮する。
しかし大人になるにつれ、ゲームのボス戦でドキドキするようなことがなくなった。それに大の大人がドキドキするような難易度のゲームをやりたくない。大人にはなりたくないものだ!
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小説を書いている。この三連休は小説しか書かないと決めている。今日は5000字くらいかけたのだ。良い調子なのだ。今は12000字なのだ。
私は今、どんな小説を書きたいのだろう?書いてきたのだろう?と考えていた。ここ数年、私はずっとアンチ恋愛を書いているつもりだった。そのアンチ性をどのくらいの人が感じてくれているのかわからないし、そもそも私もよくわかっていなかった。
なんというかこれは恋愛じゃないぞ!と息巻きながら恋愛小説を書いているような節がずっとある。恋愛じゃない恋愛小説を書きたいとずっと思っている。
私は「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーのノルウェイの森を読んで恋愛を学んだので、私の恋愛は100パーセント、ノルウェイ森できている。
だから私にとっての恋愛は対岸の火事を見ながらキスをしたり、本当はこんなことはしたくないんだと言いながらセックスしたり、女の子が自殺したりとそういうものを恋愛だと思っていた。
でも世間ではまるで違うものを恋愛と呼んでいて、とてもびっくりした。誰も死なないじゃないかと。
私にとっての恋愛小説を書きたいが、それを世間の恋愛という言葉に回収されるのが嫌なんだよなとずっと思っている。恋人じゃないし、友達でもないし、家族でも、パートナーでもない。何かもっと別の関係を書きたいと思っている。
そういうものが一種の愛の形なのだと思っている。
愛がなんだとか、恋がなんだとか、ほんとバカみたいですよね。私はそういうものを冷笑して生きているわけだけど、冷笑って戦闘を拒否しているわけだから本当は真正面から向き合わなければいけないものなんだろうなと思ってる。なので小説くらいはきちんと向き合わないとなと思う。
これだけはわかってほしいのですが、あのとき私は傷ついたのです。傷つくべきではなかったと今では思います。そんな権利は私にはありません。しかしあのときの私は傷ついてしまったのです。ミドリさんを悪者にしようとしているなどと思わないでください。私は事実をただそのまま起きたこととして理解してほしいのです。ふつうはこう思うだとか、そう感じるのは間違っているだとか、そんなことは抜きにして、私は傷ついたのだということをただ理解してほしいのです。
私が今日書いた小説の一部
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ハン・ガンのノーベル賞受賞かなにかのインタビューで「私たちはもう少し静かにしていなければなりません」と話したと訳者のあとがきに書いてあってこの人は本当にすごいなと思う。
「少年が来る」で「(凄惨な事件があったのに)噴水から水が出ていてはいけないと思います」と抗議の電話を匿名でするシーンがあって、私はそれがとても印象に残っている。
そういうものを書きたいというか、私にとって小説はそういうものでありたいなと思う。