本を読むのって孤独
何にもない日々を過ごしている。休日が終わる。こんなんでいいのだろうか?といつも思う。もっとなにか意味のあることをやったほうがいいのではないか? 例えば? わからないけど、日記に書けるような何か。誰かに話せるような何か。
若いうちに失敗しておけという話はよく聞く。例えばきちんと恋愛しておけよみたいな。それができたら苦労しないんだよな、私の人生。あなたたちとは苦労の次元が違うのだ。私はもう一段低い次元で苦労している。
なんで生きてるんだろう? なんというか働いているうちは上手く生きれる気がしないな。仕事がツラいとかじゃなくて、純粋にこういう拘束のされ方をするとムリなのだ。私は人と違うのだから、人と同じように生きていくわけにはいかない。自分のロールモデルになれそうな人を私は見たことがない。
とかいって、人と同じようにふつうに生きているんだよな私は。擬態している。意外と私も普通の人生を送るのだろうか?結婚とかして、子供をつくって。嫌だなあ。怖いなあ。選択権があるみたいに言っているけど、純粋にそもそも結婚なんてできない可能性だってある。どうなんだろうな。
むかし、noteのフォロワーさんに「にこさんは考えが深いからいつか素敵な人があらわれますよ」的なことを言われて、それをずっと覚えていて、そっかあと思いながら生きている。
最近は私の生きづらさ的なものはジェンダーの問題なのかもしれないと考えている。どうなのだろう?あーかもしれない、こーかもしれないともう何年も色々と考えているが、答えは見つからない。
仕事をして、本を読んで、眠って、みたいな生活をしている。誰にも会わずに生きてる。本を読むのって孤独だなと思う。流行りのマンガとか音楽ならSNSに感想がいくらでもあって、なんとなく一人じゃない感があるけど、本って数が多すぎてそういう今、同じ経験をしている人がいるという感覚がない。
別に誰かと感想を話し合いたいわけじゃないんだけど、なんなんだろう? やっぱり孤独だなと本を読んでいるときは感じる。だから読書会とかがあるんだろうな。
今読んでるのはフローベールのボヴァリー夫人と工藤玲音(くどうれいん)の水中で口笛(歌集)。ボヴァリー夫人はそろそろ海外古典の長編に挑戦するかと思い、比較的短めだったので手に取った。読みやすくて安心している。新訳だからなのかな。1857年の小説らしい。150年以上前の小説だけど、いつの時代も考えていることは変わらないんだなと思う。
次はドストエフスキーに挑戦したい。罪と罰は読んだけど、読むのが大変だった。あのころよりは読めるようになったのか確かめたい。
どちらも図書館で借りたのだけど、ボヴァリー夫人だけで手いっぱいになるだろうなと、息抜きの意味で歌集を借りてきた。私は現代の特に女性の歌人が好きだなと思う。
昨日、短歌をnoteに投稿したけど、短歌もぼちぼちやっていきたいと思っている。ただ短歌ってなぜか続かない。なんというかリズムがつかめない。読んできた量が小説と違うからかなと思う。でもふと思ったのだけど、私はマンガも音楽も短歌より長く触れているけど、どちらも作れる気がまったくしない。
小説の書き方みたいな記事をこの前書いたけど、小説の書き方がわからないと思ったことがなく、よし書こうと思ってからすぐに書けた。だから小説は誰でも書けるものだと思っているけど、思ったより人には向き不向きみたいなものがあるのかもしれないなと思う。
さっきくどうれいんのホームページを見にいったら、そこのブログにTwitterのアプリを消したと書いてあったので、私も消した。TwitterはPCから見れるから大丈夫。我々はスマホを海に放り投げてからしか人生を始めることができない。
https://www.kotensinyaku.jp/books/book424/
https://sayusha.com/books/-/isbn9784865280241
私が初めて書いた小説~
https://monogatary.com/episode/54606
ましゅまろ~
https://marshmallow-qa.com/qut6j87f0bseenh?t=3pUxoQ&utm_medium=url_text&utm_source=promotion