こどくドクドク
私より物質的?肉体的?に孤独でない人が、自らのことを孤独と言っているのを見ると、じゃあ私はなんなんだよ、と思う。物質的とか肉体的と言っているのは友達がいるとか、恋人がいるとかそういうことを指しているのだけど、じゃあ例えば、そういう関係性の人がどのくらいの数いれば孤独でなくなるのか、もしくはどのくらいの頻度で会っていれば孤独と判定されないのか、そういうことを考える。
もちろん孤独というのは精神的なものを指しているのだろうから、数とか頻度とかの問題じゃないのだろう。
あなたはどんな時に孤独を感じますか?
私は人が多いところにいると孤独を感じる気がする。それだけじゃないな。誰もいないところ、広いところ、森とかそういうところに居ても孤独を感じるかもしれない。だとすると私にとっての孤独は大きなものに圧倒されるときに感じるものなのかもしれない。私が孤(数字の一のような感覚)であると認識するとき。
一人でいるとき、私の感覚は開かれて、無制限にどんどん広がっていってしまう。前を歩く人々、横を走る車、後ろから来る自転車、信号機が点滅して、空には鳥が飛んでいる。今挙げたのは視覚だけの話だけれど、それに聴覚、嗅覚なんかが加わる。(ハンターハンターの円が的確な例えなんだけど、どのくらいの人に伝わるのかわからない)だから私は外に出るときはとりあえずイヤホンをして、マスクをする。これだけでずいぶん変わる。
これらを外した状態で外に居ることが苦手で、だから例えば私はなかなか飲食店に一人で入れない。ただ人といるとそれなりに大丈夫で、それはその人に意識(感覚)の大部分を向けるからだと思っている。
話がだいぶ逸れている気がするけど、私にとっての孤独は大きなものなかで一人だけ取り残されるような不安な感覚が近い気がする。広い世界とか多くの人、途方もない未来とか、そういうもののなかに自分を置いてしまうときに孤独だと思う。
孤独は精神的なものと言ったけど、こう考えると私の孤独はわりと物理的なものなのかもしれない。色んな孤独があると思う。私の孤独はわりと一般的な、というか根源的な孤独への恐怖、不安だと思うけど、あんまり共感できない人もいるのかなと思う。
例えば誰からも理解されないみたいな孤独が精神的な孤独の一例なのかなと思っている(どうなのだろう?)。私はその感覚がわからなくはないけど、あんまり共感ができない。私のことを誰かが理解してくれるだなんて思っていないのかもしれない。
他者に私の理解なんて面倒なことを求めていないのだろう。他者に求めるということは私にもそれが課せられるということなので。
なんというかどこまで行っても、他者にも心があるということが上手く感覚的に掴めない。もちろん頭では理解しているのだけど、触れられないもの感じられないものを、感覚的に理解することができない。
なら私の隣を歩くのが心の無いロボットでいいのかと言われると、たぶんそれは違う気がする。私にとって心のないロボットは車や自転車と同じ。ただ、心があると私が思えたロボットならたぶん何も問題がないので、私はやっぱり何かしらの形で心を意識しているみたい。
おそらく私の場合はそれが気づかいという形で表れる気がする。ただそれはどこまでいっても心ある(とされている)ものへの敬意に過ぎないのかもしれない。
私は心というものをなんというか勘定に入れていないというか、心、精神みたいなものは私だけにあって、外界は二次元的で平面な(奥行のない)、物理的なものとして捉えているのかもしれない。
この外界というのは他者もたぶん私も含まれていて、ここでいう二次元的というは漫画とかそういうイメージで使っている。そして外の世界とは別に精神的な世界があるという感じなのかもしれない。
もちろんこんな二元論的にバシッと割り切れているわけではないけど、そんな感じがするというだけ。
何か送ってもらえると嬉しいです。
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