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 朝、暗い部屋で目を覚ます。年末年始の連休中で、アラームは止めているが6時には目が覚める。手探りでベッドサイドのテーブルからリモコンをつかみ、部屋の明かりをつけた。

 いつもの部屋だ。昨日の夜から何も変わってはいない。読みかけの本、飲みかけのマグカップ、タイマー設定で運転を始めた暖房。この部屋に住み始めて、もうすぐ三年になる。生活には慣れたし、朝起きて私はどこに居るんだろう? なんて思うこともない。しかしときどき一人で生きているということに違和感を覚えることがある。ずっと家族とともに過ごしてきた。そのときの残滓みたいなものが脳裏に浮かぶ。実家に帰りたいとは思わないし、一人で生きることがさびしいなどと言うつもりもない。それでも何か大きな過ちを犯していて、それに気づくように促されているみたいな、そんな疼きがある。

 私はベッドから起き上がり、まだ温もりのある布団を畳んだ。それからマグカップを流しにおき、新しいコップに水を注いで、電子レンジで温める。その間に洗面所へ向かい、軽くうがいをし、顔を洗った。暖房の位置の問題で、どうしても寝起きは喉が乾燥する。私は加湿器のタンクを取り外して、水を入れた。今年の初冬に部屋が寒くて買ったものだ。おかげで部屋は暖かくなったが、朝方にはタンクの水がなくなり停止している。

 とっくに温め終わった電子レンジから白湯を取り出して口に含む。この部屋は寒い。夏であろうと朝は温めた水しか飲めなかった。それからスマートフォンでユーチューブを開き、ラジオ体操を流してその音に合わせて体を動かした。ラジオ体操が終わると、椅子に座って本を読み、お腹が空いたら朝食を食べた。

 朝食を終え、カーテンを開けると空がきれいに晴れていた。立地的に朝日は差しこんでこないがそれでも心地の良い朝だ。

 さて、と思う。今日一日なにをしよう。年末年始は予定が何もなかった。というか予定というものがある方がまれで、基本的には何もない休日をいつも過ごしていた。友達もおらず、恋人もいない。そうなると予定というものがほとんどないカレンダーが自然とできあがる。しかしそれでいいのだと思っている。それが嫉妬を通り越した自己欺瞞なのか、はたまた本当に無欲な人間なのか、わからない。しかしいまは良くても、10年後のことはわからない。そんな言葉で社会は溢れている。それが本当なのか、それとも自分の過ちを認めたくはない人々の妄言なのか、やはり判断はつかない。

 何かを選ばなければいけないと急かされる。若さは武器だ。誰と戦う? 早く結婚をしないと良い人は取られてしまう。誰に、誰が取られる? 子供を産むなら早いうちに、歳を取ってからでは取り返しがつかない。私はまだ自分のことすらままならないのに?

 私は大きくため息をついた。結局自分の意思だけではどうすることもできないのだ。ならできることからやっていくしかない。私はダウンジャケットを羽織って外へ散歩に出た。

 玄関を開け、一歩外に踏み出せば冬の匂いがする。たちまち冷たい外気が私を覆う。寒いのは嫌いだが、冬は嫌いじゃない。世界がどこまでもどこまでも澄んでいるように思える。そして外界との温度差によって、私という存在をより明確に感じることができる気がする。

 アパートを出て、住宅地を抜けていく。どの家ももう起きているのか、どこか人の気配がする。夏はいつも朝の6時ごろに散歩をしていた。その時間帯はほとんど人気がなく、車通りも少なかった。それなのに朝の太陽の日差しはしっかりと世界を照らしていて、なんだか夢のなかに迷い込んだような心地がした。できることなら冬もそのくらいの時間帯に外へ出たいのだけど、朝の6時ごろではまだ日が出ていないし、かといって日の出まで待っているとお腹が空いてしまう。だから冬はこの人々が活動を始める時間になってしまう。

 黒猫が一匹、家と家を仕切る塀の上を歩いていた。こんなに朝早くからどこへ行くのだろうと思う。たまに見かける黒猫で、私を見るとピタリと動きを止めた。まるで目を離したら私が厄災となって襲いかかるとでも思っているかのように。怖がらないで良いのだとと伝えたい。しかし私の言葉は伝わらないのだろう。私はスマートフォンを取り出し、シャッター音で怖がらせずに済むように、動画で猫を撮った。猫はカメラを見るや否や、すぐに塀の上を走り去って、狭い路地へと消えていった。

 少し歩くと川がある。水は淀んでいるが、きちんと土手が整備されていて、春には川沿いに桜が咲き乱れる。この街をふたつに分けるように流れる川だ。私はそんな川を土手沿いに歩く。近所に住んでいるのであろう、おじいさんやおばあさんとすれ違う。皆一人だ。配偶者に先立たれ、孤独に生きているのだろうか。そんなことを思う。しかし大多数はそうではないのだろう。家に帰ればきっと奥さんや旦那さんがいるのだ。しかしどの人も一人で生きているかのような顔をしている。

 それにしても空は晴れている、と思う。本当に不思議なくらい晴れている。晴れている日は泣きそうになる。どうしてだろう。私がこんなにも幸せでいいのかと不安になる。見上げれば天国が見えそうなくらい澄んでいる。私はどこまでも行けるのだと思うし、同時にドーム型の檻のようにも見える。ずっとずっと忘れられないのだろう。忘れたくはないのだろう。すっと霊魂のように空高く伸びる線香の煙を。そんなことを思いだした。

 川にかかった橋の真ん中で立ち止まる。いつもの折り返し地点だった。欄干に寄りかかって、ダウンジャケットのポケットに入れていたスマートフォンをふと取り出す。震えたような気がしたのだが、通知は来ていなかった。念のためラインを開いてみるが、新着として来ていたのはガス会社の公式アカウントからのメッセージだけだった。

佐藤 美咲様 
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 生きるのは難しい。生きているだけでお金がかかるし、地球温暖化も進んでいく。息は白いし、頬や耳はかじかんで痛い。
 
 そういえば、彼もそんなことを言っていた。いや、彼がそんなことを言っていたのだ。しゃべり方が移るように、言葉や考え方も移ってしまうのかもしれない。彼は冗談を言うみたいに笑っていた。それを見て、笑いながらじゃないと言えないことが、彼の世界にはあるのだということを知った。そしてその言葉の裏に隠れた言葉を思う。言葉は、言ったことと、言えなかったこと、言わなかったことが表裏一体のようになってできている。
 
 どこかの物語の主人公が、君のすべてを知りたいと言っていた。果たして本当にそうなのだろうか、と思う。私は彼のすべてを知りたいのか、すべてを知りたいと思わないのは本当は好きではないからなのか。彼の言葉の裏にある言葉を探偵のように解き明かして、今度はそれを人質に取って好きを強要するような行為が恋なのか。

 今度はたしかにスマートフォンが震えた。もう一度スマートフォンに目をやると彼からラインが来ていた。

「もし年始に時間があれば初詣に行きませんか?」

既読をつけてしまったので、かじかむ指で返事を入力する。爪がカタカタと画面に触れ、音を立てた。

「いいですね。私はずっと暇です」

「僕も暇です。じゃあ一日の午前中とかどうですか?」

 私は「わかりました」と返事を送信してから、スティッチがいいねと親指を立てているスタンプを送る。

 私の背後を大きなダンプカーが通った。橋が音をたてて揺れる。私はスマートフォンをまたダウンジャケットのポケットに入れた。ドキドキしている。体の表面はじんわり熱くて、でも奥底は震えるくらい冷たい。私は大きく息を吸って、大きく息を吐いた。そしてまた散歩を再開する。今日は橋の向こう側まで歩こう。できるだけ遠くまで。足取りは軽い。

 でもどうして、と思う。しかしそんなことを考えたって仕方がないのだ。知らなくて良いことというのは、知るべきことと同じくらい多くある。何でもかんでも明け渡してしまったら、一体何が私を構成するのだろう。水の濃度が均一になるように、体温が皮膚を伝って移るように、私たちは同じになってしまう。

 ならこの足取りの軽さは私だけの秘密にしようと思う。そして今朝見つけた黒猫を彼に教えてあげればいい。私は毎朝散歩をしているのだと。私の街には猫が住んでいるのだと。

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