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 駅前で待ち合わせをして、神社まで歩いていく。想定通りの混雑でほとんど身動きが取れない状態だった。私たちは離れ離れにならないように、互いに身を寄せ合ってゆったりと動く大きな川の流れのような人ごみに流された。

 私の頭上で彼が独り言のように何かをつぶやいた。聞き取れなくて、私が顔をあげると彼は笑った。

「慣れないことはするもんじゃないですね。ふだん初詣とか行かれますか?」

「行きますよ。もう少し落ち着いてからですけど」

「そうなんですね、僕はもう何年行っていないんだろうな」

 彼はそう言って、顔を上げた。空を見ているというより、考えごとをしているようだった。きっと最後に行った初詣のことを思いだしているのだろう。

「子供のころからずっと、年末年始ってあんまり好きじゃないんですよね。テレビの特番とか、家族で何もしないでだらだらと過ごす感じとか、そういうものが好きになれなくて。だからずっと避けてきたんですけど、なんだか不思議ですね。こんなふうに誰かと初詣に行くなんて」

 私は黙って彼を見上げた。ぼんやりと彼の幼少期や、学生時代のことを想像する。どんな子供だったのだろう。家族とはあまり上手くいっていないのだろうか。そもそもこれまでどんな人生を歩んできたのだろう。私は彼のことを何も知らないのだと思う。

「美咲さんは初詣に毎年行ってるんですよね? ご家族でですか?」

「え? ああ、違いますよ。だいたい一人です」
 
「へえ、そうなんですね」
 
 さびしい女だと思われただろうか。なんとなく気を使われたような気がして、「全然そんなんじゃないんです」とよくわからない否定をしてしまった。

「ただなんとなく怖いんです」

「こわい?」

「そう、なんていうか神様が怖い」

 彼は考え込むように曖昧に返事をした。彼はまた上を向いて考えごとをしている。この人ごみのなかから頭を出して、息を吸うみたいに。対して私は視線を斜め下に落とす。探し物が足もとに落ちているかのように。

「例えば」と私が口を開くと、彼は視線を私に向けた。こういう私の言動に対する一挙手一投足が嬉しくもあり、ときどき困ったりする。

「神様が私のことを見捨てたら、私はごろごろとどこまでも転がり落ちてしまうような気がするんです」

 少し違う、そう思いながらも話す。彼が私の話を聞いている。

「神様を信じているわけじゃない。父も母もそんな感じでした。でも初詣には行くし、お守りもきちんと買う。厄年だったらお祓いも受けるし、受験生だったときはちょっと高そうな合格祈願も買う。そういう両親を見て、苦しい時の神頼みじゃないけど、都合がいいなと思ったりして、でも同時に神様って怖いなとも思ったんです。だってみんなを幸せにしてくれたっていいじゃないですか。神様なんだから。初詣に行かなくても、神様を信じていなくても、正しい行いをしていなくても、みんな幸せしてくれればいいのにって思うんです」

 何の話をこんなに必死にしているのだろう。頭が真っ白になって自分が何を話しているのか、彼がどんな表情をしているのか何も見えない。私は大きく息を吐きだした。話さなければいけない。

「でも実際はみんなが幸せになっているわけじゃない。だから私は神様が多くの人を救うついでに私も救われようとしてるんだと思います。そういうものを手放したいのに、手放せずに、一番下の方で必死にしがみついている」

 ようやく顔をあげると、彼は笑いも困惑もせず、じっと私のことを見ていた。その顔を見て、この人はときどき自分は一人で生きているという顔をする、と思った。孤独を孤独として受け入れ、共に歩んでいる人の顔。過去を過去として諦め、おだやかに眺める人の顔。

「ようやく順番が来ましたね」と彼は言った。

 私は小銭入れから、5円玉を見つけて賽銭箱に投げ入れる。それから手を合わせて目をつむり途方に暮れる。毎年そうだ。私は何を祈ればいいのだろう。何に期待すればいいのだろう。急かされるように「すべてが上手くいきますように。今年もよろしくお願いします」と心のなかでつぶやく。隣を見ると、彼はもう目を開けて、奥にあるお祓いを行っている部屋を見ていた。もしくはどこかずっと遠くを眺めていたのかもしれない。

 神社を出て、「少し歩きませんか?」と公園を指さして私は言う。

「好きですよね、歩くの」と彼に言われ、恥ずかしくなって少しうつむく。

「いいですよね。なんだかこのままずっと歩いていけたらなって思います」

「歩くのが好きなんです。自分の行きたいところへ自由に行ける気がして。車や自転車だと行けないところがあるけど、歩きならどこへでも行ける」

 そこまで言って、歩きでも行けないところがあるということに気づいた。口にはしない。それが現実になってしまわないように。その代わりにふと思い出して、この前撮った黒猫の動画を彼に見せた。

「毎朝散歩していると、ときどき会うんです」

 10秒にも満たない動画を二人で顔を突き合わせて見た。黒猫が映っているのは冒頭の3秒ほどで、さっと路地裏へ逃げ込む真っ黒な後姿しか撮れていない。猫というよりすすの塊ようだが、私たちにはこれが猫だと一目でわかる。まるでそういう訓練を受けているかのように。

「可愛いですね。僕、猫の友達を持つのが夢なんですよ。ジジみたいな」

 猫と話している彼の姿をイメージするのは不思議と簡単で、私は笑った。猫にもこんなふうに敬語で話すのだろうか。いや、ジジが相手ならあの魔女の少女みたいに強気な口調で話すのかもしれない。

 冬とは思えない陽気だった。彼は着ていたダウンジャケットを脱いで、腕まくりまでしていた。空は雲一つなく晴れていて、太陽の光が恵みのように降りそそいでいる。風はなく鳥の声が真っすぐ耳に届く。公園には子供を遊ばせる家族ずれが多かった。小さな子供とお父さんがキャッチボールやサッカー、バドミントンをしている。お母さんは日向にレジャーシートを敷きその様子を温かく見守っている。

 そんな様子を見て、この国はまだ大丈夫そうだ、なんて思う。子供たちが両親に囲まれて笑っている。そんな何気ない日々はいつか救いになるだろう。

 隣を歩く彼を見ると、ぼんやりと空を眺めている。大きなカラスが翼を広げて、優雅に滑空していた。その様子を彼が目で追っているのがわかった。ふたりでいるのに、別々なものを見て、別々なことを考えている。いまは別にそれでいいのだ、と思う。もしいつか同じ方向を向くときが来るのだろうか。

「恋愛について、前に会ったとき聞きましたよね。それについてずっと考えていました」

 ふと彼が言う。彼はいつの間にか目線を下ろして、私のことを見ている。私も彼のことを見る。それからベンチを指さし「少し座りましょうか」と私が言う。「そうですね」と彼が言って、ふたりでベンチに腰を下ろした瞬間、それがトリガーだったかのように私のなかで何かがカタンとはまった音がした。パズルのピースがはまり、そのひとつのおかげで他のピースが次々とはまっていくような感覚。

「結局、僕にはよくわかりませんでした。誰かを苦しいほど好きになる感覚も、自分が誰かに同じように好かれる感覚も」

 彼はじっと自らの手のひらを見つめている。華奢だが大きな手だ、と私は思う。私のどこか丸っこくて、節の曖昧な手とは作りが違う。

「きっと自分で自分を縛っているんでしょうね。上手く言葉にできないですけど」

 一言一言がまるで割れやすいガラス細工であるかのように、彼は丁寧に言葉を並べていく。何が正しくて、何が間違っているのか彼自身もわからないのだろう。だからなるべく透明な言葉を使っている。光が透過するように、闇に溶け込めるように。

「でも美咲さんのことは好きです」
 
 目の前をトレーニングウェア姿の女性が走り去る。そのランニングシューズが運んできた風で落ち葉が舞った。彼はじっと遠くを見つめている。目の前を走り去った女性も、奥の芝生で走り回る兄妹も目に入っていない。そしてこの言葉は私に宛てて送られた言葉ではないのだろう。

「じゃあ、付き合いませんか? 私たち」

 私がそう言うと彼は笑って、私を見た。私は真面目なのだと彼に伝えるためにじっとその瞳を覗き込む。

「先に言われてしまいましたね。でも少し時間をもらえませんか」

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