ぴこさん回!

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ぴこさん

おはようございます。今は11月30日、日曜日の朝8時です。何だか久しぶりな気がするなと私が前回書いた分を見直してみると、だいたい2週間前でした。そんなものか、これまでのやりとりのペースが早かっただけですね。

私がこれくらいのペースで返してしまうことが、ぴこさんへのプレッシャーのようになっていませんでしょうか? かといって平日はなかなか書けないので、今日を逃すと来週になってしまう。そうするとその分ぴこさんからお手紙をもらうのが遅くなってしまうなと思い、書いています。

楽しみに待っていますが、無理せずに書いていただけたら嬉しいです。

三連休は家から一歩も出ないぞ、と意気込んでずっとゲームと読書をしてました。面白い本と面白いゲームがあれば私は永遠に生きていけるのだ!と思いました。ぴこさんはお忙しかったようで、私の暇さを少し分けてあげられたら良いのですが、それはなかなか難しいので私には祈ることしかできません。でも私とぴこさんとでは価値観が違うので、どう祈ればいいのかもわかりませんでした。そんなにたくさんがんばらないで、と私は思うのですが、そういうものをパッと手放すことは難しいでしょうし、そもそも手放したいと思っているのかも私にはわかりません。

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ミトンとふびんをちょこちょこ読んでいます。誰かを亡くすこと、そして今いる誰かを大切に思うこと、吉本ばななの書くそういうことがすっと理解できるような気もするし、私には永遠に理解できないような気もします。誰か身近な人を亡くしても私は何も感じないんじゃないだろうか、そして私は誰かを大切に思うことなど決してできないんじゃないだろうかとよく思います。

私は他者を理解することなど決してできないのだろうと思って生きています。正確には理解できないというより、私の理解は完璧ではないということです。

それを前提にして生きているので、完璧に理解できないのなら深く関わる必要はない──ぴこさんの言葉で言うなら理解しようとしないまま共存する──という思いと、完璧に理解できないのならその誤解を減らしていかなければいけない──それでも理解したい・触れたい──という思いがあります。

なのでぴこさんの質問に答えると、どちらの世界も好きということになると思います。

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ハン・ガンについて少し書きたいと思います。まず前提として、私は本は読むべきタイミングというものがあって、その本が読めないのならそれはただ、今、読めないだけで、いつか読めるようになるかもしれないと思ってます。なので無理して読む必要がないというのが私の考えです。

あまりにも静かで、意味が拾えるはずの場所に沈黙と空白が置かれている

という感想を読んで、とても素敵な表現だなと思いました。他の本たちの感想もそうですが、どれもしっかりと的を射ていてハッとするような感想ばかりで、いつもすごいなと思っています。

ハン・ガンのどの本を読んでいるのかわかりませんが、根本的に間違っているとか、そういうことではないんだろうなと思いますし、なので余計に苦しんだろうとも思います。

私は「すべての、白いものたちの」のから読みましたが、解説を読んでようやく20パーセントくらいわかったかなという感じでした。あまりにも遠すぎて、声とか見ているものとかがまったく掴めなかったのです。翻訳されている小説はだいたい読みましたが、「すべての白いものたちの」がいちばん読むのが難しかったです。

読むヒントは感覚的なものでよいということなので私がパッと思ったことを書くと、意味を拾いに行かなければいいのでは?と思いました。沈黙に耳を澄ましても沈黙ですし、空白に目を凝らしても空白です。ただ、我慢強く耳を澄ましつづけなればいけないし、目を凝らし続けなければいけないとは思います。何かを探すのではなく、そのままきちんと受け入れるというのが大切なんじゃないかと私はよく思います。

あとは、読む気があるのなら(前提として書いたように、無理して読む必要はないと思っています)他作品を色々と読んでみるというのはアリだと思います。「少年が来る」「別れを告げない」「すべての、白いものたちの」は同じテーマについて向き合った結果作られた作品になってます。

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米津玄師が歌った「トレモロ」を聞きました。一度聞いたのですが、そのときは聞きなれない音楽から、とても馴染みのある声がして困惑して、途中で聞くのをやめてしまいました。なのでもう一度きちんと聞いてみたのですが、米津玄師がRADWIMPSというバンドのどういうところに影響を受けていて、どう思っているのか、そういうことがひしひしと伝わってきました。

ぴこさんからの手紙を読んだ後というのもあるでしょうけど、子供というか中学のころを思い出しました。私にも少年だった時代があったんだと。何かに憧れていたとか、青春とか、そういうものは何もなかったはずなのに、過去を振り返って見ると、どうしてかキラキラと夏の日差しのように輝いて見えるんですよね。

夏休みとか毎日のように自転車で部活に行って、弱小テニス部だったので、練習もてきとーで、先生の目が届かないことをいいことにみんなで日陰で話しながら気が向いたらテニスして、午後は学校近くの公園やら公共施設(あれはなんの施設だったのだろう?)でゲームをしてみたいな日々でした。とても純粋に楽しかったです。これが永遠につづくのだと思ってました。

ぴこさんの小学生の頃の話を聞いて、小学校ってそういうことあるよなと少し笑いました。私だったらすごいドキっとしてすごい嫌な気分になるんだろうなって思いました。私にもそういうことがあったような気がするし、なかったような気もします。

最近は冬のにおいがしますね。とてもうれしくて、外に出るたび大きく息を吸い込みます。

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私は、一人だと自分の座標がわからなくなります。
また掘り進めた結果、角度がずれて全く別の到達点に辿り着いてしまうことに強い恐れがあります。
だからこそ、常に他者から自分の位置を測る必要があります。

私にはその感覚はわかりませんが、ぴこさんからそういうものを感じるときはあります。コウモリとかの超音波(エコーロケーション)みたいなイメージです。言葉を投げて、言葉が跳ね返ってきて、その跳ね返ってきた言葉で相手との距離感を知って、自分の位置も知るみたいな。

こんなことをぴこさんに聞くのは間違っているのはわかってるんですけど、もしかしてみんなそうやってコミュニケーションを取ってるんですか?

私はたぶん逆で他人といると自分の座標がわからなくなります。たぶんそのエコーロケーション的なコミュニケーションに巻き込まれているからかもしれないと思いました。一人でいるときは考えるまでもなく、私の座標はここ(心)にあると思えるのですが。

コミュニケーションとはなんなのか、というのをよく考えます。私の理想のコミュニケーションって、互いに創ったものを交換し合って、それですべてを理解するみたいな感じです。それは難しいですけど、私は私の一部を差しだして、あなたはあなたの一部を差しだすみたいなコミュニケーションが理想です。

だから文通というコミュニケーションの形は私としてはかなり理想に近いものになってます。ぴこさんはどうですか? ぴこさんのコミュニケーション感?みたいなものを聞きたいです。あとできれば社会はこうやってコミュニケーションを取っているんだよというのも教えていただけると助かります。無茶ぶりなので私はこう思うというので構いません。

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インフルエンザが大流行しているんですね。知りませんでした。私の心配などせずに、ご自身の体調を気遣ってくださいと言いたくなりますが、ぴこさんが要らない心配をしなくて良いように私も体調には気をつけます。

にこ