昨日、カマキリを踏んだ。ドアに張りついていたのは知っていて、私がドアを開けたからか、それともどこかへ移動中だったのか、ドアを出たちょうど足もとにいたのだと思う。始めは気づかず、振り返ってカギをかけようとしたときにカマキリが潰れていることに気づいた。

お腹の部分が潰れていて、体液や内臓が出ていた。私にできることなんてなかった。たまたま外に人を待たせていたので、私は何もせず、その場を去った。

待たせていた人(車の修理会社の人)との話が終わって、ドアの前に戻るとカマキリは移動していた。這ったあとが体液によってわかる。15センチくらい移動して、その後なぜか円を描いていた。

今日、部屋を出たときカマキリは死んでいた。昨日見たときよりも少しだけ移動していた。

私になにができるというのだろう。こんなふうに簡単に、気づかないうちに、何かを傷つけてしまえるなんて。

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秒速5センチメートルを見た。本当はもののけ姫を見たかったのだけど、予約するときにすごく混んでいたので諦めた。私の感覚ではもののけ姫なんて、もう何回もテレビで見ているのだから、今さら見に来る人なんていないだろうと思っていたので驚いた。秒速5センチメートルは人気のイメージが勝手にあったのだけど、席はけっこう空いていた。地域柄なのかもしれない。

映画の初めで大人の明里が「その人がくれた言葉はいまも日常みたいだ」と内容は違うけどこんなニュアンスのことを言っていたと思う。それに対して私は「嘘だ、そんなことがあっていいわけがない」と思った。そんなふうに過去を現在に持ってこれたら、過去は過去でなくなってしまうし、現在を生きる意味がなくなってしまう。そもそもそんなふうに割り切れる人間がいるわけがないと思った。それができないからこんなにも苦しんでいるのだというのに。

序盤は終始、貴樹が嫌いだった。同族というか、なりたかった姿というのもまた少し違うけど、学生時代、ああであれたらよかった。私は一人でいることなんてへっちゃらです見たいな顔を必死でしながら、誰かに話しかけられるのを待っていた人間だから。ずっと窓の外ばかりを見ていた。

サーフィンの女の子だけには幸せになってほしい。あんなやつのことは忘れて。しかし彼女、ストーリーの本筋からは少しずれているのにやけに登場時間が長かった。原作を私は知らないけど、監督の趣味だろうなって思う。仕草とか一挙手一投足がすごくよかった。パックの飲み物をストローで飲んで、変に大きな音が出て恥ずかしがっている描写がなぜか印象に残ってる。

貴樹は終始彼女のことを表面しか見ていなかった。そんな彼のことを彼女は大人になってから思いだすのだろうか。彼は彼女に何かを与えたのだろうか。

この映画は美しいきれいごとだと思った。そんなふうに言葉だけ大切に抱えて、それだけで生きていける人間がどれだけいるのだろう。ただ、どう生きたって現在の自分を作っているのは過去で、それだけは変えようがない。

しかしじゃあ、あのとき大丈夫と言ってもらえなかった人たちは、どうやって生きていけばいいのだろう。