私は何をさびしさと呼んでいる?
さびしいの?
さびしいという感情は自分を簡単に悲劇のヒロインにできるからとても便利な言葉。結局あなたも(私も)そうとしか生きれないのだ。どこかさびしさを望んでいる。何かの免罪符のようにさびしさを大切に抱えている。
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感じているモヤモヤをさびしさと呼んでいるだけ。それともみんなさびしさを、例えば痛みのように手に取るように感じることができるのだろうか?
さびしさをきちんと分解して考えれば、原因がわかる。そのなかにさびしさと呼ぶべきでないものが混ざっていることもわかる。負の感情というのは色んなものが混ざりあっている。
私は何をさびしさと呼んでいる? 書きだす。
仕事で嫌なことがあって、それを言語化できない。だからそれを誰かに伝えることもできないし、伝える相手もいないことに気づく。
自分がからっぽなのではないかと不安になる。からっぽとは? 誰かに与えられるものが何もないということ。
自分の外側に感情の矢印を向けたいのに、向け先がいない。内側に戻ってくる。
何かに触れたい。いや触れられたい。性欲? 少し違う。何かもっとこう、心の穴に手を突っ込まれるような感覚。息ができなくなるまで。
からっぽなのに、心に何かある矛盾。それが外へ出たがっている。なんだろう? 恋を希釈して、夜で染めたようなもの。恋はさびしさ? さびしさは恋?
どんどん抽象的なっている。軌道修正。
なぜ触れられたい? 誰にも触れられたくはなくて、肉体にコンプレックスがあって、だからこそそこへの救済なのだと思う。
相手にも肉体があって、私と違う肉体があって、その情報量の多さに耐えられないのだと思う。例え誰であれ、些細な接触でも、触れ合った瞬間に相手のすべてが脳内に流れ込むような、そんな恐怖がある。
はじめに戻る。
仕事で嫌なことがあった? 嫌なこととも私の失敗とも言えないようなこと。そう、言えないようなこと。それをここでも書けないこと。それを誰にも理解されないであろうこと。そういうことに少しイラだつ。
私しか知らない私のこと、ばかりが、雪のように積もっていく。そんな情景にときどき途方に暮れる。ねえ、知っていますか?今日私は仕事中、やることがなかったので、本を読んでいました。とても罪悪感を感じながら。こんなことしたくないんだと思いながら。
明日が不安だ。何か特別なことがあるわけでもない。だから誰も気にも留めない。でも不安なのだ。漠然としているわけじゃない。何が不安かは認識している。認識しているから、頭の片隅にそれがずっとある。
少し違うな。ぼんやりと不安なまま考えることにつかれてしまって、そのままになっているから、なんかこう邪魔なんだな。パチッときりかえられたらいいのに。テレワークだからか、上手くいかない。
飽きたので終わり。