毎日散歩をしている。家にずっと籠っているのもよくないなと思っていて、でもどこかに出かけるのもめんどうで、間を取って少し長めに散歩をする。

秋になってきた。金木犀の香りがして初めて秋って感じがするけど、涼しくなってきてうれしい。夏の間は早朝しか外に出られなかったから、夕方とかちょっと寝坊した朝とかに散歩ができるのは良い。

ただ夏が終わってしまって少し寂しかったりする。夏らしいことは何もできなかった。というか夏らしいことなんてできる気温じゃない。それでも何かこう炎天下のなか歩くとか、そういう夏を感じることをもっとやっても良かったかもしれない。ただ夏の暑さは命にかかわるので、なかなか難しい。

冬は夏よりも感じられるようにしたい。去年はずっと家に引きこもっていたので、夏の記憶も冬の記憶もまったくない。春と秋の記憶はあるので、また秋が来たのかという感じ。きっと気づけば春になって、その春も一瞬で終わって夏になるのだろうな。

外を歩くと私の肉体や精神が自由であることを思いだす。ずっと何に縛られているのだろう? どこまでも行ける気がする。遠くへ行きたい。

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ゲームをやって散歩をして、またゲームをやってみたいな生活をしている。とても健康的。合間に本も読めたらなお良し。マルコ・バルツァーノの「この村にとどまる」を読んでいるけど、やっぱり私は小説が好きだなと思う。

ツイッターで「小説ばかり読んでいるやつはダメだ!」みたいなことが話題になっていたのを思いだす。言いたいことはわかるし、人文系の本とか読んでる人はすごいなと嫉妬しながら思うけど、そんなことを言う人間の言葉なんて真に受けないで放っておけばいいのにと思う。私はやっぱり小説がいちばん美しいと思うので小説を読む。

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マシュマロありがとうございます。

小説を読んで以前までだったらわからなかったことが、わかるようになるのことが成長を感じます。それとは逆にわかるなあと思うところが変わらないと、私って変わってないんだなと安心したりします。むかし好きだったものを今も好きでありたいんですよね。なんというか過去の自分に対して裏切りのような気がして。

過去の自分が大切にしていたものをずっと支点として持ちながら、少しずつ遠くへ行けるようになったらいいなって思います。

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どんな正当な理由があっても誰かを否定したくはない、と思う。しかし否定することでしか自分の立ち位置を示せないときが多くある。もちろん否定しなければいけない物事はある。しかしそれはそんなに多くないと思う。そんななかで何かを否定することで自分を示そうとするのはダサい行為だと私は私に対して思う。

誰かを悪者にすることで自分の立ち位置を確保するくらいなら私は独りで生きていく。

誰かの居場所を奪い生きるくらいならばもう
あたしは石ころにでもなれたならいいな

アイネクライネ / 米津玄師


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