ゲームの配信の切り抜きを見ていたら、「どんなに味方にピンで指示や意見を出しても、味方は聞いてくれない。だからやる意味がない」みたいなコメントが来た。それに対する解答が「それでもやり続けなければいけない。続けてさえいれば自分の実力通りの場所に行ける」というものだった。良いこと言うなと思った。

少し話はずれるけど、人助けをしました、その結果恩を仇で返されました、もう人助けなんてしません。というのではなくてそれでも人助けを続けられる人が正しい人なのだと思う。何でもそうだけどやり続けることには意味があるというか、自分がこうするべきだと思うことをきちんと信じて生きていきたいと思う。

たとえば、人の悪口を言わないとか、そういうこと。

社会で生きていると悪口がコミュニケーションのなかでになっている役割みたいなものがよくわかる。だから悪いことだとは思わないけど、私は言わない。意味があるのかわからないし、そういうことを気づいてくれる人がいるのかわからないけど、正しいと思うことはつづけていきたい。

部活の顧問がよく「易きに流れるな」と言ってた。当時(いまも)はくそみたいな言葉だと思っていたし、それは他人に言う言葉じゃないだろうとも思う。でもまあ、その通りで、未だにこうして覚えているということはきっと何かあるのだろうな。

その顧問の言葉を覚えているのはたぶん、彼が私のことを見ようとしてくれていた数少ない人の一人だからだと思う。私はずっと目立たず生きてきたから、そんなふうに先生から目をかけられることってなかった。部活の顧問ということもあっていちばん距離の近い先生だったと思う。

私はテニス部だった。何かの面談?みたいなタイミングで「性格的な問題だろうけど、勝気がないから、そこが惜しいね」みたいなことを言われた。誰かに内面について言い当てられた経験がほとんどないのでよく覚えている。よく見てるなと思った。

そりゃあ私に勝気がないことなんて見ればすぐにわかるだろうけど、そんなふうに見てくれる人なんていなかった。あとは遠い球、長いラリーをすぐにあきらめるとか言われた気がする。よくご存じでという感じ。

特別目をかけてもらっていたわけじゃないし、お世話になったなんて一ミリも思っていないけど、覚えてる。

他は誰かいただろうか? まったく思いだせない。私は誰にも理解されないという思いはこういうところからきているのだろうなって思う。わかってもらおうと思ったこともない。きっと私が誰のことも見ようとしていないからなのかもしれない。

この前ショッピングモールへ行ったら、子供がお母さんに「マイクラの、さばいばるもーどをやりたい!」と話していた。お母さんは「へえーマイクラにサバイバルモードがあるんだあ」と大人から見れば明らかに興味のなさそうな返事をしていた。親って大変だなと思った。もう一人の子供は「ポケモンはふぉるむちぇんじするんだよ!」と言っていた。

そんな話を聞いていて、私も同じようなことを母に言っていたなと思った。きちんと記憶があるので小学生くらいだと思うけど。そのとき私も同じように「へえ」とか「ふうん」みたいな返事で流されてなんだか悲しかったことを覚えてる。

そういうことが関係あるのかわからないけど、私の話は誰も興味がないんだなと思っているし、私は話すことが下手くそだという思いがずっとある。

私が話したいこと伝えたいことって、上手く言葉にできない。こうして長い文章を書いても、この言葉の羅列のなかにその伝えたいことというのはなくて、このなかから感じ取ってほしいという何とも自分勝手なものになってる。だから私はそれをきちんと形にするためにこうして言葉を書きつづけているし、それを公開しつづけている。