日記 散歩
ゲームをやりたい期みたいなのが定期的に来る。そのやりたい期が来るまでゲームはあまりやらないので、久しぶりにやってはやめてみたいなのを繰り返してる。がっつりハマったらぶっ通しでやるのだけど、なかなかそんなにハマれるものはない。ダラダラやってるのでストーリーをなかなかクリアできない。
ストーリーものはゲームに限らずそうなのだけど、大体終盤になるにつれて飽きてしまう。だいたいラストが見えてしまってそれを見る気が起きなくなる。終わり良ければ総て良しという言葉が私は好きだけど、終わりがいい作品ってあんまりない。最近だとヒロアカの終わり方が許せなくて、なんかもう好きだと言えなくなってしまった。
いまやってるゲームは終盤に差し掛かっているだろうけど終わり方が見えない。抽象的なメタファーみたいな言葉を並べてストーリーを作ってるからわかろうとしないとわからない。ちなみに私はそういうストーリーはわかろうとしない派。わかろうとしないとわからないものはわかったところで意味がないと思ってる。
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午前中はゲームをやって、午後はなんだか何もする気が起きなかった。日記を書いてると思うけどそういう日が多い。どうにかしなきゃなと思う。鬱かなにかなのだろうか?と思うけど、こんなの今に始まったことじゃないような気もするし、前よりは酷いような気もする。
休日はなんか空回りしているような気がしてならない。何かやらなきゃという思いだけがあって、でも実際にやりたいことはない。だから強迫観念のような焦りがあって、私の場合は逆にそれが体を縛る。
このままじゃダメだと思って、椅子から立ち上がって外に散歩に出る。家に居ても何もできないから、もう家に帰ってこないというつもりで図書館までとりあえず歩くことにした。歩いたら一時間くらいかかる。それが往復なので2時間くらいひとりで音楽も聞かずひたすら歩いた。ちなみに図書館は休館日だった。
散歩は楽しい。今日はいつも歩いてる川じゃなくて、街中にあるちょっと大きな川沿いをずっと歩いた(そこまで行くのに30分くらいかかる)。川って好きだ。海とは違った良さがある。海は果てって感じがするけど、川は途中という感じがするし、大量の水が絶えず移り変わって流れているのがいい。
帰りは知らない道を行こうと、住宅地のなかを歩いて帰ってきた。この街はほんとうに住む場所しかない。お店はスーパーと美容室とマッサージ屋さん車屋さんしかない。でも住宅地を歩くのは好き。人の何気ない生活が私は好き。でもあんまりじろじろ見るわけにもいかないので、うーんという感じ。
Vlogとか日記でそういうものを見せてくれたらなと思うけど、大抵の人は本当の生活の部分は見せてくれない。というかそういう人間的な生活があまりない人が多いのかもしれない。とくにVlogなんてやろうと思う人は。
歩きながら、家にいるとダメになるなあと考える。どうすればいいだろう? 家で作業できないみたいな人のことがいままで理解できなかったけど、はじめてカフェとかなら「作業」はできるのかもしれないと思った。例えばZINEの制作みたいな手が動けば進むやつ。
小説を家の外で書けるのかと言われると難しい。たぶん昨日noteに投稿したような、何も考えずにそのときの感情のまま書いてるようなやつは書けない。何も考えてないということは、頭で書いてるわけじゃないから。
だから逆に頭を使ってつくるようなものならできるだろうなって思う。私はやることさえ決まっていれば大抵どこでも集中できる。
でも私はノートPC持ってないし、カフェというと駅のなかくらいにしかなくて、あんな人がたくさんいるところに行きたくないからどうしようかとなる。デスクトップPCがあるのに、ノートPCを買うのはバカみたいだから買うならタブレット。ipadになるのかなあ。でももうiPhoneをやめようと思ってるからなと色々考えた結果、ネカフェに行けばいいという結果になった。
でも家に帰ってきて、これを書いてるとやっぱりどこにも行きたくないよなあと思ってしまう。すぐそうやって考えが変わる。もっとなにもしないことになれたい。でも引きこもりは不健康なので、生活は変えなければいけない。