スイッチ2を当てた。当てたのだ。なぜ当てたという言い方になるのかというと、多言語版(2万円くらい高い)に変えたから。多言語版の方でも当選率は5割ほどらしいので運はよかった。

結果論だけど悪くない判断だと思う。たぶん普通の方じゃ当たらなかった。現に任天堂以外で応募したやつはことごとく外れてる。

悪くない、悪くない、私は当てているのだ、運が良い。そう思いながらも、世の中にはふつうの方を当ててる人がいることを考えるとちょっと落ち込む。そういうのよくない。私は何も損をしていない。と言い聞かせる。他人は他人、自分は自分。関係ない。

でも、私はこういうときに一番いいものを当てられる人間、そっち側の人間じゃないということを思い知らされる。世の中にはこういうときに特に何も考えずにポンと当てる主人公みたいな人たちがいて、私はそういう人間には天地がひっくり返っても勝てない。

正直当たる気がしなかった。だからプラス二万払ってでも当てることを優先した。思考はどんどんネガティブになって、外れたときのことばかり考えてた。

そういうことを考えたらダメよ。引き寄せの法則、引き寄せの法則。と言い聞かせたけど全然当たったときの想像はできなかった。だから考えないことにした。

でも実際には当てたのだ。ポジティブ、ポジティブ。こういうときにしっかりと勝てる選択を取れるのが私の良いところ。リスクとリターン。

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今週から健康のために毎朝散歩をするようにした。出社の日は駅から職場まで、テレワークの日は近所を歩いてる。筋トレもしてる。

最近、視野が狭くなっているというか、外の世界が上手く見れていないような気がする。比喩ではなく、視覚、聴覚、嗅覚を閉じてしまっていて、自分のなかに閉じこもっているような感覚がある。

脳みそが麻痺したみたいに五感からの情報が届かない。なんだか頭がぼんやりしている。目は世界を見ているのだけど、脳みそはその映像を映していないような感じ。

SNSのせいかな、となんでも一旦SNSのせいにしてみる。あとは脳みその使い過ぎなのかもしれない。ぼおっとしてる時間がない。ずっと何かしらを考えていて、それが自らの内側だけで完結してるからよくないのかも。

だから散歩をしている。効果があるのかはわからない。いままではイヤホンで耳を閉じていたのだけど、それもよくなさそうだと思ってやめた。去年は耳栓を買ったり、ブルーライトカットの眼鏡をしたりと、外界からの刺激を遮断するためにいろいろやった。外に出たときの疲れは減ったし効果はあったと思う。でもその副作用的なものが出ているのかもしれない。

一日中、なにか刺激を与えていないと脳が落ち着かなくなってしまっている。SNS中毒だ。私の場合はSNSとかYouTubeとかに誰かと繋がっている感を求めてる。だからそれらに触れないと、不安で仕方なくなる。こうしてnoteを書いてるのも同じ。誰かに読んでもらえるから不安じゃなくなる。誰にも読んでもらえない文章は書けない。

SNSだけの付き合いってなんなのだろうっと最近思う。いつかみんないなくなってしまうし、体温も感じない。どこにも行けない関係。