最近、図書館でエッセイを借りるようになった。noteをやっていく上で、きちんとプロのものを読んでみるべきなんじゃないかと思ったから。

でもたいていはぜんぶ読み切れずに返却してしまう。3分の1くらい読むと、別にあなたの人生に興味ないしなぁと思ってしまうのだ。

一生関わることのないだろう人の生活に興味を示せるほど人間好きじゃないのかもしれない。それに大抵が友達や恋人やパートナーの話ばかりで、そういうのを読むと「幸せそうでいいなあ!」という感想しか出てこない。

どうにも共感できないし、それを夢みることすらできない。

邦画が苦手なのは距離が近いからだというツイートを前に見たけど、それと似たような感覚。もう少し近ければ共感できる、遠ければ別世界のものとして楽しめる、その中間のどうしてか上手くピントが合わないところにエッセイはある。

***

センター試験じゃなくて、共通テストは昨日で終わったのかな。弟が受けているはずだけど、結果は知らない。私立に行くつもりらしいので、別に受けなくてもいいけどと言っていた。

ツイッターを見てると、娘が号泣したみたいなつぶやきがいくつか流れてきた。それで共通テストのことを思いだした。

17とか18の子どもに、たかがテストで人生が決まると思い込ませるのは、なかなかの罪だよなあと思う。当時から私は、大学に入れさえすれば、まあなんとかなるだろうと思っていた。

高校のころの担任は執拗に国立大学へ私たちを入れようとしていた。それが人生の正解だと信じてやまないようだった。ほんとうに誇張なく。

イカれた価値観だと思う。どうして学歴やら職歴やらで、ほとんどの人がコンプレックスを植え付けられなければいけないのだろう。そんなことを考えるとイライラしてくる。

しかし私も自分の学歴にも職場にもコンプレックスのようなものがある。そんなものはただの箱であって私の価値ではないと思っているのに。

イライラする。私の大学名をここで公表してやろうかと思う。でもそれを見た人たちがどう思うかを考えると足がすくむ。

「そんな低学歴な人だとは思いませんでした」と思われるのが怖いんだと思う。逆に「思ったより高い」と思われるのもショックだ。不要なプライド。今すぐ捨てたい。イライラする。

学歴で差別するような人たちだと思っているわけではない。でもどんな学歴であっても、情報を与えたら何かしらの感想は持つわけで、学歴の場合は偏差値の高い低いにたいていはなる。「へえ、東京の大学に通ってたんだ」という感想にはなかなかならない。

そもそも人になにか情報を与えるのが嫌なのだ。たとえそれが良いものでも。

まだ当分は学歴コンプレックスは消えないのだろうなと思う。なんだかみんな頭が良さそうに見えて、引け目を感じてしまう。やっぱりそれなりにそこに自信を持って生きてきたわけだから、自分より上の人を見るのはツラい。

学歴とか使う語彙とか文化教養とか、そういうもので線引きされているような気分になる。線を引いているのは自分だというのに。

そういうものを褒めるのやめませんか。心から心を褒めてほしいですね。

***

学歴と比べると、仕事に対するコンプレックスはそこまでない気がする。たぶん労働は総じてクソだと思ってるからだと思う。私は自分が労働者であることには引け目を感じてる。