会社帰りに車の中で米津玄師の「diorama」を流す。一番好きなアルバムは?と聞かれたら、真っ先に上がるアルバムだと思う。まあ、米津玄師以外にアルバム単位で曲を聴く人がほとんどいないのだけど。

「diorama」はもう100回は聞いた。だから次の曲は体が覚えていて、無意識的に歌詞を完璧に口ずさみながら、これなんて曲だっけ?なんて思ったりした。

このアルバムを聞くと、センター試験の帰りのバスを思いだす。正確にはそのときの感情。クラスみんなで大型バスに乗って、試験会場から帰る。外は真っ暗で、バスの中は明かりがついていた。

私の周りでは通路を挟んで数人があの問題の答えはどうだのこうだの話してる。その会話に私が参加することはない。私はクラスで孤立していたし、そもそもテスト後のそういった会話が大嫌いだった。

だから私はイヤホン取り出して、窓の外を眺めながら音楽を聞いていた。なかなか最悪な時間だった。このまま死んでやろうかなって気分だ。あのときほど、惨めだったことなんてない。ふざけた調子で「点数やべえ」なんて言える友達はいないし、家に帰ったら母が待っている。バスが学校につくまで耳元ではずっと「diorama」が流れていた。

後日学校で、自己採点をした。センター試験の結果は最悪だった。点数が悪いのはわかってはいたけど、ここまで酷いとは思っていないかった。模試や過去問を受けてきた中で一番悪い点数だった。

気持ちを切り替えていたつもりだったけど、さすがにキツイものがある。テストは苦手じゃなかった。だからこそ「お前の価値はこの点数です」と言われているような気分になった。それでも家に帰ったときには気持ちを切り替えていたと思う。国立がムリなら私立に行けばいいやと。

実際後悔とかはない。国立の受験を諦めたことで受験勉強が早々に終わったので、ポケモン剣盾をやる時間ができた。一か月くらいで飽きてしまったけど、正直国立大に受かるより、有意義な時間だったと思ってる。どうせどこへ行っても同じなのだ。

そういう気持ちの切り替えとか、後悔しないことはわりと得意。悪い言い方をすれば、自分への言い訳が天才的にうまいのかもしれない。

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何だか最近、気分が沈む。数週間前まではなんというか躁みたいな状態で、これから色んな所へ行って、色んなことをやって、人付き合いもがんばるぞ!みたいに珍しく活力的だった。

でもいまはどこにも行きたくないし、誰とも会いたくない。一人で生きていきたいってずっと言ってる。

どうしてこんなことになってしまったのだろうって考えてみると思い当たる節がある。9月の半ばに友達と遊ぶ約束ができたことだ。その約束がずっと憂鬱なのだと気づいた。

約束は楽しみだし、友達だってみんな仲がいい。でも憂鬱なのだ。その二つは矛盾してるようで矛盾してない。

約束は苦手だ。カレンダーに予定を書き込んでから、その日になるまでずっと頭の一部分を占領し続ける。そのことについてずっと考えごとをしているので、心はいつも不安な気分。

でも約束が苦手だからと言って、突発的に誘われるのはもっと苦手。少し先の約束なら、ムリなことじゃないかぎり断ることはないけど、そういう急な誘いは基本的に全部断ってしまうと思う。予定ややることがあるわけじゃないのだけど、心の状態の計画が私にはあってそれを壊されるのが嫌なのだ。

約束はなんというか少しずつ私の心から栄養を吸い取っていく。

気にしなければいいのだけどね。でも最近、気にしないということができるようになってきている。訓練の成果かなと思う。ただ完璧じゃない。気にしないと決めてしまったらほんとに気にしなくなってしまうので、約束を忘れてしまう可能性がある。

それは避けなきゃいけないので、アラームをかけて気にするようにしてた。今回の約束だと「9月になってから考える」だった。それで9月になってアラームが鳴り、気分が落ち込んでいるというわけ。一週間前とかもっと遅めにアラームをかければいいのだろうけど、心配性なのだ。私は。

なかなか上手く生きられないな。

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マシュマロ


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