野菜が食べれないというだけで子供っぽいだとかわがままみたいな偏見が蔓延しているような気がする。もちろん私の被害妄想なのかもしれない。ただ欠点であることには変わりない。

野菜が食べれない人は日々そういう偏見に苦しんでいるのだと勝手に思っているのだけど、どうなのだろう。野菜を食べられる人は、心のどこかで食べれない人を蔑んでませんか。それは差別や偏見ですよと言って回りたいけど、正しいのは向こうなので何も言えない。

自分は差別や偏見はないと思っている人も意外とそれらは身近に潜んでいる。好き嫌いのことに限らず、最近セクシャリティに関する本を読んでいるのだけどそう感じる。

大人になれば食べられるようになるとよく言われるけど、それは味覚が鈍くなるからだと言う。その自覚はあって、ムリだったもののムリ度が下がってきてはいる。吐くほど嫌だったものが泣くほど嫌になって、いまは多大なストレスくらいまで下がってる。

何がムリなの?美味しいじゃんとよく言われるけど、自分でもよくわかっていない。存在がムリ。虫とかと同じ。あと過去のトラウマだと思う。私の時代は給食を残すなと叱られることはなかったけど、食べ物を残してはいけないというのは世界共通の認識だから罪悪感がすごかった。

どうしていまこれを書いているのかというと、好き嫌いを克服しようと思い立ったから。日常生活にずいぶんと多大な影響を及ぼしている。私の場合は家の外で食べたり、誰かと一緒に食事をするというのが苦手なので、食事という行為に嫌悪や恐怖のような感情を持っている。

人間関係というのは結構食事を中心に回っている。もちろんそれ以外もあるけど、例えば親睦を深めましょうといった場合には十中八九食事がついてくる。お酒が飲めない人はお酒の席が苦手な人が多いと思うのだけど、それと感覚的には近いと思う。私はお酒も飲めないけど、そこに対するコンプレックスのようなものは特にない。なぜならまだそのラインに立ててすらいないから。

食事が苦手な人がいるって考えたことがありますか?

こういう集団的な不理解、数にカウントされていないような感覚が人を生きづらくするのだと思う。最近はずいぶん認知が進んできたと思うけど、HSPとかがその典型だと思う。わざわざ誰も口に出して言うほどのことじゃないから、周りの理解が進まない。

そういうことって私が知らないだけでたくさんあると思う。表面的にわからない苦手。人には言えない辛いこと。

名前がついていると、こういうとき救われる。私と同じ人がいるのだと知れるし、説明するときの説得力が違うと思う。何より自分はおかしくないのだと思えるようになる。

マシュマロ


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