雑談(ジェンダー、自分らしさ)
ジェンダーフリーというか、その人らしさみたいなものが昨今のテーマなのかなと思っている。ジェンダーという言葉の意味を私はいままで、性別に関する単語くらいの認識で生きていた。調べるとジェンダーとは社会的に構築された性差に基づく役割のことを指す言葉らしい。なるほど。
役割という言葉の意味とは離れるのかもしれないけど、男らしさ、女らしさみたいなことだと思っている。
私という一人称で話していると女性だと思われる。それこそジェンダーだと思うけど、私は男性だと毎回丁寧に補足を入れてしまう。混乱は望むところではないし、初めましての人たちにとって自らの所属とか属性というのは必要な情報なのかなと思う。
性別は人間が生まれてまず初めに与えられる情報のひとつで、LGBTとかは生きていく過程でジェンダーなどのすり合わせにより追加していくものだと私は思っている。だから性別というのはその人を知るために欠かせない情報のような気がしてしまう。だって今の社会では男女で生きる道筋がずいぶん違う。だからそういう道筋の違いをなくそうというのがフェミニズムだったりするのだろう。
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ツイッターで部活経験がない男はモテない。競争の中に身を置かないと男として成熟しない!みたいなことを言ってる動画が回ってきた。なるほどなぁと思った。時代遅れな考え方なんだろうけど間違ってはないと思う。競争の中に身を置くのは良いことだと思う。男女問わず。こういう話は人間としてどこを目指しているのかの違いでしかないと思う。私は競争を生き抜いた、たくましくてモテる男を目指しているわけではない。
最近のジェンダー観にわりと馴染めているのは、それなりに良い環境で育ててもらえたからなのかなと思ってる。男性らしさみたいなものを求められたことがあまりない気がする。いや、そんなこともないか・・・男なんだから、お前は女みたいだ的なことをよく言われた気もする。
それがおかしいと思ったことがなくて、「おかしいのはお前らの方だ」ってずっと思ってた。これは私の個性なんだって誇りに思ってる節さえある。
ただそれはあくまで枠からはみ出してないからそう思えるだけで、枠からはみ出すとなるとそうはいかない。自分とは何か、アイデンティティを決めるための枠組みが無くなってしまう不安と恐怖。そういうものと戦わなければいけない。
競争ではないけれど、戦わなければいけないんだろう。私にはそんな力はない。そういうことから逃げて生きてきたのだ。
みんな役割を演じているのだろう。与えられた役割、自分で与えた役割を。演じているから本当の自分や自分らしさとの違和や齟齬を感じる。
自分らしさというのは創作の永遠のテーマであるけど、やっぱり創っていくものなんだろうな、と思う。なりたい自分となれる自分。そういうのが上手な人が個性的な人みたいに呼ばれて、私は下手くそなのでつまらない人。
こういう自虐的な言葉で終わらせるのはよくない。そういうところがつまらないんだぞ。と言われても根がネガティブというか、夜はどうしてもダメなんだよなぁ。心も体もうごかない。