自己肯定感の低さが全ての元凶な気がしてならない。それは表面的なものじゃなく、もっと自分の奥底、観測できないような場所にある。

表面的な自己肯定感は波があるし、見た目に関する自己肯定感とか性格に関する自己肯定感みたいに細分化できる。私の自己肯定感を大きく分けると肉体と精神。肉体の方の自己肯定感を数直線で表すと-10≤x≤0で、精神の方は-5≤y≤5ってところかなと思う。

自分に自信がないことがやっぱり一番の原因な気がする。精神の方はこうして文章を書くことで自信に繋がっているからわりと安定しているけど肉体の方は上手くいかない。今年はこの肉体的な自己肯定感を上げるというのをひとつ目標にしたい。ただ目指す先、なりたい自分がわからなくて、考えるたびに頭がショートするという問題があり難航中。

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ここまで書いたような表面的なものじゃなくて、もっと根底に自己を否定する何かが私にはあるような気がしてならない。それが必要以上に私の自己肯定感を下げている気がする。私は本来自己肯定感が高い方であると思う。

私は私だよな、私でもいっかと定期的に思うし、誰かに対する憧れとか尊敬みたいな感情はほとんどない。自分と他人を切り離す考え方みたないものは、これまでの訓練の結果なんだけどそれなりによくできていると思う。

でもそういう私がせこせこ積み上げてきたものをぶち壊す自己否定の波が来る。波が引いたらまたせこせこ修復するわけだけど、そういうもんなのかな人生ってと思う。

ずいぶん海が近い所に住んでるよなぁとあらためて見ると思うけど、人がいっぱいる内陸には住めないのよね。じゃあ山の上に住むかと言われたら、きっとそのときは自分で積み上げたものをぶち壊しちゃうんだろうなって思う。山よりは海の方が好き。

内陸に住んで誰かに壊されるくらいなら、海に壊された方が良いと思い海辺に住んでる(伝わってるか不安になってきた)。それでこの海が、私の根底にある自己否定的な何かなわけだけど、それが何かわからない。トラウマ的なものだと思うけど、思い当たるようなできごとがない。

たぶん小さい否定、小さな失敗の積み重ねだと思う。過去の記憶ってほとんどないんだけど、そういう嫌なことだけははっきり覚えてる。そういうことをいままで誰にも相談してこなかったことが原因なんじゃないかというのが私の中の新説。

最近あった嫌なこととかを誰にも言ったことがない。友達にも親にも、SNSでもあまり言わない。保育園のころからそうだったんじゃないかな。ほんとに。

生きていくうえで小さな嫌なことっていくらでもある。たぶんそれが私は人よりも多いし、変わってる。それを見て見ぬふりするのが癖づいちゃって、自分の中に溜まっていき、いつしかそれは海になった。

自分を肯定してくれる人がいるという経験がなかったんだと思う。あなたはそれでいいんだよと言ってもらったことがない。自分で自分を肯定するというか、励ますことに慣れてしまった。外から否定されたときはそれでも何とかなるけど、自分で自分を否定しているときは矛盾してしまう。

誰かに相談するべきだったんだ。そっかぁ、そうだよなぁ。何でみんな人に悩みを相談するんだろうってずっと不思議だったんだよね。誰かに肯定されたのか。

じゃあこれからどうするか。とりあえず訓練としてこのnoteに悩みを書いていく、それから人へという方向性でがんばるます。