性格ってなんなのだろうとよく思う。私の性格を人に聞いたらたぶん物静かで優しくてみたいな答えが返ってくると思う。私の何を知ってるんじゃい!

性格のことをその人の内面と言うけど、性格を判断するのは外に出てきた部分で言ってしまえば外面なんじゃないかと思う。

人間みんな根本にある性格はだいたい一緒で、外に出るまでのフィルターみたいなのが環境とか価値観で変わっていくのではないかと何となく思う。そういうのを全部ひっくるめて性格っていうんだ、と言われたらそれまでだし、実際そうなんだろうと思う。

例えば何か不当な扱いを受けて怒りを感じたとき、はっきり言う人と言わない人がいたとしてて、それは怒りがフィルターをすり抜ける人とすり抜けない人でしかない、ということ。

外からの情報もフィルターを通るし、フィルターの種類もたくさんある。その組み合わせによって外面の性格はできている。

だから性格は変えることができるし、作ることもできると私は思う。そんなものの良し悪しを語ったって意味ないんじゃないかなぁとぼんやり思う。

例えば嫌味な人がいて、いつも私に当たってくるとする。私はそういう人に対して早く死ねばいいのになぁと思うけど口には出さない。

死ねばいいなんて思う人は性格が悪い(もっと根本的な何かがねじ曲がってる気もする)けど、すべての人に対してそう思うわけじゃない。むしろ生きてて欲しいと思う人の方が私は多い。

その嫌味な人だって同じで、特定の人物にだけ当たってる。たぶんだけど、それは少数なんじゃないだろうか。大多数の人とはおそらく普通に接してる。

性格というのは当たり前だけど、相手との関係値によって変わるものだから一概に決めつけることができないというか、決めつける必要がないと思う。

人間は自分の利益のために生きてるというのが私の考え。だから優しさなんてものはなくて、相手が喜ぶことが自分の利益に繋がるから人は誰かに対して優しくするのだと思う。

同じような理由で、良い人っていうのは、自分にとって都合の良い人だから、性格について好き嫌い良い悪いというのはなんだか間違ってる気がする。

もっと性格のその奥にある心の内側を見るべきだと私は思うけど、私は誰かの心の内側の部分というのを見たことがない。

わかりやすく表に出るものって基本的には性格フィルターを通したものだし、たぶんそういう本当の内面って自分自身でもわかってない。

そんなことを考えてると、人と人との関係って全部利害関係だけで成立してる作り物に思えてしまって嫌になる。

ねえ、私の心を本当に愛してる?それは私の外見が蜘蛛になったとしても愛せる?って意味よ。

まあ、七年で身体の細胞は入れ替わるなんて話があるけど、変わらないものなんてないし、何かを完璧に理解することだってできないのだから、作り物を愛して、作り物を愛されていくしかないんだろうね。