私は恵まれているけど
私は恵まれているけど、それらすべてをダメにしているような気がしてならない。
例えば大学に行くことが当たり前だと思っていた。それは親から大学へ行けとずっと言われてきたし、最低でも大学へ行かなければ人間として劣っているくらいの価値観が、学校などの私の周りでは直接言葉にせずともあったからだと思う。
私は私立理系の大学に奨学金を借りずに実家から通っている。これが社会的に見てどのくらいの立ち位置にいるのか統計的なことは分からないけど、ふつうと言われるラインより上なのだろう。
私は小学生や中学生のころ、みんな大学へ行くものだと思っていた。ほとんどエスカレーター式のように。
金銭的な問題だったり、学力やそもそも行く気がなかったり、色々あるのだと思う。学力的な問題は自分が甘えてるだけじゃないの?と思っていた。だって私ができたのだから。
甘えているという発想は、恵まれている人間側の発想なのかもしれない。こう書くと私がめちゃくちゃ頭が良い人のように勘違いしてしまうかもしれないけど、全くそんなことはない。だからこそ、そう思ってしまう。
たぶん私より上の大学へ行った人は私を見て、どうしてもっと努力しないのだろうと疑問に思っているのかな。
話は少し変わるけど、私が食べ物を残すと母がよく「食べたくても食べれない人がいる」と言った。つまり恵まれているのだからそれに感謝して享受しなければいけないということだと思う。
私はいまだに食べ物を残す。その度に母の言葉を思い出して、自分に嫌悪感を抱いてきた。似たような言葉が社会には溢れている。生きたくても生きれない人がいる。学校がない人がいる。
そんなことは知るか、私は私なのだ。って思ってきたけど、そういう言葉を聞くたびに申し訳なさを感じた。お前は恵まれた環境があるのに、どうしてそんな人間なんだって言われてるような気がした。
この世の全てに感謝しましょう的な風潮は苦手だ。自己欺瞞的な思考だと思う。だって明らかに正しいから。正しいから苦手なんだ。正しくありたいと思うから辛いんだ。
私は私。そう私は私。見失ってはいけない。