就活をしていた
僕はついこないだまで就活をしていた。就活中に、終わったら就活に関するnoteを書こうと思って何を書こうかなって色々と考えていた。でも結局、こうして書き始めるまで二週間くらい経ってしまった。やっぱりどこか後悔みたいな部分があるのかもしれない。
何となくだけど、これを書くまでが就活だと思っているところがあるのかもしれない。だからこうやって先延ばしにしてきたのかな、なんてふと思った。
大抵の人がそうであるように就活なんて就職なんてしてやるか!って思いながら生きてきた。十代特有の自分は何者かになれるという漠然とした自信があった。
大学生になって僕は小説を書き始めた。いま思うにこれは社会への反抗なんだと思う。大学生のうちにデビューするという熱量でいままで小説を書いてきた。
僕が18とか19のころに綿矢りささんの蹴りたい背中を読んで衝撃を受けた。これを17とか18とかで書いて、芥川賞。しかもデビューはもっと前。それを知ってから焦燥感に駆られるようになった。
でもまあ、書き始めて3年とかで上手くいくはずもなく、人生こんなもんだよなぁと就活をした。
3年かけてゆっくりと心の準備ができたおかげで、あれだけ憎んでいた就活がそれほど苦ではなかった。まあ、それは僕が入れればどこでもいいやと思っていたからでもあると思う。何かに向かって全身全霊で挑むということが僕にはできないんだなぁと知った。いまの自分が大切で未来の自分には多少犠牲になってもらおうという考えなのだ。
昔から要領よく大抵のことはそれなりにできた。それなりというのは中の上くらいで学校の授業で本当にできないことは美術と陸上競技ぐらいだと思う。
ただ高校くらいから人と上手く話せなくなって、それ以降人と友好的な関係を築けた例がない。社会のレールから人知れず落っこちたような感覚があった。
社会不適合者にも色々タイプがあると思うけど、僕はストレス耐性が恐ろしくなく、そして上手く人と話せない。ただ人と話せないと思っていたけど、面接なんかを通して僕は意外と社交的になれることに驚いた(といっても人並み以下だけど)。こういうことはきっと慣れだったり訓練でなんとかなるものなのだろう。僕は訓練を怠ってきたのだ。
学校なんてそれなりに成績を取っておけば、あとは独りで本を読んだって、独りでお弁当を食べてたって優等生として卒業できた。もちろん僕が悪いのだけど、いままで頑張ってきた勉強はなんだったんだろうなぁとは思った。
就活自体はそんなに苦ではなかった。自己分析や企業分析は楽しかったし、落ちるのにも小説のコンテストのおかげで慣れていた。
就活に対してそれほどマイナスな感情を抱かなかったのは驚いた。何事も仕方ないって思えるようになった。人はこうやって大人になっていくんだなって感じた。
就活の結果自体は10個くらいの企業を受けてひとつだけ内定をもらえた時点でやめてしまった。これ以上やっても意味がないような気がしてしまったのだ。
向こうが僕をいらないというのなら、それはきっと正しい。それに働いてみないと結局何もわからないと僕は思っているのだ。
不安はある。でも楽しみなところもある。主に独りで生きていくというところにわくわくしている。
まあ、なんとかなるだろう。独りで本さえ読めれば僕は幸せなのだから。