理解という言葉を通して自己分析をしていこうと思う。

なぜ?

理解という言葉は私が何かと対面したときによく浮かぶ言葉であるから。そして自分の中で大切な価値観に繋がる気がするから。

理解すること

理解とはどういった意味の言葉なのか。そのことについて考えるとき、私が真っ先に浮かぶのは村上春樹のスプートニクの恋人の一節。

理解というものは、常に誤解の総体に過ぎない

村上春樹/スプートニクの恋人

初めて読んだときから、ずっと私の中に引っかかり続けている文章。理解というのは誤解が集まってできているのだ、という印象を受けた。大きく間違ってはないはず……。

本当の理解というものは存在しないのだと思う。簡単な話、あなたのことを100%理解することなんて不可能であるということで、それがもっと些細なことでも……例えばあなたの好きなタイプとかでも完璧に理解できるわけがない。

理解とは小さな理解の集まりだと私は思う。髪は短め、目は二重、スタイルは、性格は、と理解していき、好きなタイプという大きな理解になる。しかし理解は誤解の総体にすぎない。

それは相手への理解だけではなく自己理解もそう。自分自身ですら理解できないのだから、相手を理解することなどムリだ、というのが私の考え方。

理解したい

しかしそれでも理解したいと思う。あなたのことも、そして私のことも。それが愛なのだとかそういった話がしたいわけではない。ただ、理解したいのだ。

私は自分を理解したくて、こうして文章を書いている。私はあなたを理解したくて話しかけている。

なぜ理解したいのか。これが今回の一番の壁。

何かを理解しようとすることでしか、得られないものがあるのではないだろうか。それは例えば、空っぽの本棚をうめる本のようなもの。

人はあの風刺画のように本の上に立って生きているのかもしれない。それを積み上げていくことを成長と呼ぶのかもしれない。

あなたを理解したいと思うのは、きっと人生のあるフェーズにおいて、あなたを理解する必要があると感じるからなのだろう。そうでないとどこにも行けないのだ、私は。

理解されたい

理解したいと思うと同時に、理解されたいとも思う。だから私はこうしてこのタバコの灰殻みたいな文章を公開している。

欲しいのは共感なのだろうか。わたしもそう思うと言って欲しいのか。そうではないような気がするけど、上手く言葉にできない。

おそらくあなたの中に正しく私を構築して欲しいのだと思う。飾りのない本当の私。私があなたを裏切らないように。

私は裏切られたくないからあなたを理解したいのかもしれない。

理解できない

理解できないことによく憤りを感じる。逆に言えばそれ以外のことには憤ることもないように思える。でもまあ、理解できないと思うことはそんなにない。理解しているというのは、私の思い込みに過ぎないけど。

たぶん理解しようとしているのに理解できない感覚に憤ってるのかなと思う。

理解しようとすること

理解できないのなら、理解しないくていい。理解できないのなら、理解されなくていい。と思うのはやはり寂しい。

でも正直、他人に理解されなくてもいいかと思っている節はあるし、たぶんこれからもこの考えは変わらないと思う。というか変えないつもりでいる。

他人を理解する、他人に理解されるというのはなかなか労力のいることだし、大抵の人は理解されようがされまいが大した問題じゃない。

理解したい人だけ理解できればと思う。理解というものは、常に誤解の総体に過ぎないことを忘れないように。理解をするには誤解を積み上げる必要がある。我々には言葉がある。