どうもにこです。

 30になったら死のうと思ってから2、3年が経った。死ぬのが怖くて先延ばしにしているだけだ。でも人生生きていれば良いことがあるという希望のようなものを信じているからでもある。細かいことは後で決めようと思う。まだ10年くらいはある。

 才能もない。勇気もない。やる気もない。なにもないな。さてどうする。

 小説家になりたいと思ったのは高校3年の受験期真っ只中だった。大学に入ったら小説を書く、それだけを頼りに地獄みたいな学校と受験を乗り切った。

 それまでやりたいことなんて何ひとつなかったから、それは天啓のように輝いて見えた。実際、ほんとにふと授業中に降りてきた考えだった。古典かなんか時間に小説家になろうと思ったのだ。

 小学生のころ、卒業式に自分の夢を発表する決まりがあった。当時の僕は習い事はすべて続かず、ゲームばかりやっていた。当然将来の夢なんてなかった。

 サッカーを習っている人はサッカー選手、女の子はとりあえず保育士、本当に何も無い人は幸せな家庭なんて言っていた。僕はというと何の因果か(因果という言葉はおかしい気もするけど)小説家と言った。なりたいなんて少しも思ってなかったが、人と同じことを言うのが嫌だったのだ。

 そんな僕は大学に入り、この4年で作家としてデビューしてやると意気込んだが、実際は3年が経っても何ひとつ結果は残せず。たかが3年で何が残せるのだ、とも思うけど周りには結果を出してる人がかなりいた。初めのころはそういう人たちにムッとして、憤っていたわけだけど、今では僕は僕だしなぁ、と思うようになった。ウチはウチ、外は外という耳タコ教育のおかげかもしれない。

 この3年で長い作品を3つ書いた。3つを合計したら30万字くらい、他にも色々書いてるから全部合わせたら50万字以上は書いてるんじゃないかな。こう見ると割と頑張ってるなぁと思う。

 でもここ半年くらいは長い作品は書いていない。単純に忙しいのもあるが、いったん立ち止まるかと思ったからだ。技術的にも足りてないし、そもそも書きたいものがない。一応結果待ちの作品があるけど、これで大学生のうちにデビューするのは無理になった。

 さて、どうするか。どうしたいのか。何がしたいのか。

 何がなんでも小説家になりたいのかと言われたらそうでもない。そもそも誰かを救いたいなら、僕が影響を受けた小説を2、3個読んでもらう方がいいに決まってる。それでも死ぬまでに1冊、何か残せたらなって思ってる。

 前までずっと何者かになりたいと焦っていた。でも今から僕の手の届く範囲に”何者”は無いし、何だか訳の分からない人になるくらいなら普通に生きるべきだと思うようになった。そもそも何者になりたいのか、分からない。

 僕は僕であるという諦めのような考え方。産まれた時から僕は僕なのだからすでに”何者”なのだ。最近やたらとそう思う。自分の手の届く範囲がようやく分かってきたというか、気づいたというか。

 目標に向かって何かをやったのは初めてだった。おかげで自分は天才だとかそっち側の人間じゃないことが分かった。やってみたから分かったのだ。手が届かないなら歩いたり、ジャンプしたりすればいい。

 僕は大したことない人間であるが、しょうもない人間ではない。この3年でそれを学べた気がする。そして僕の手が誰かに届くことがあるという事実とその喜びも知った。

 僕は本当に自己中心的なもの(駄々っ子みたいに手足をばたばたさせてるようなもの)を書くけど、それがごく稀に言葉になって帰ってくるときがある。こうしてひとりで文章を書いているのが常だけど、やっぱり根底は言葉のやり取りを望んでる。だからやり取りが成立すると身が悶えるくらい嬉しい。

 小説やこのnoteが僕にとっての会話なら、それはあまりに不器用すぎる。なんとかしなければいけない。やっぱり人は独りでは生きていけないのか。それも最近常々思う。

 真夜中の闇を抜けて、霧の濃い夜明け前にいる。でも最近ようやくその霧が少し晴れ始めた気がする。目を閉じて生きていたら、そりゃ世界は暗い。大丈夫。何とかなる。そう思いながら、しっかりと目を開いて生きていきたい。