思考と創作は街の建設
新年あけましておめでとうございます。どうもにこです。
新年だからぽいものを書くぞというあれは一切なく平常運転で行きます。新年っぽいものなんて僕の中にはないのです。
なぜnoteを書いているのか。なぜ、なぜと自問自答することが趣味みたいなところがある僕ですが、この問いには答えが出ています。
考えを文章にすると綺麗にまとまり、そして新たな発見があることが多々あるのです。考えることは自分の中を探検することだと思ってます。文章はその探検を手助けする……なんだ?道を舗装していくような感覚ですかね。
僕は小説も書いてるのですが、小説は……なんだ?その舗装した道の横に建物や人を置くような感覚ですかね。うん、わりといい感じの例えだ。
だからか、noteを書いててボツになることがたまにあるんです。あれ?この先行き止まりじゃんって。書く手が止まって、もうどこにもいけないよーってなります(いまその感じです)。
小説の場合は不格好でも書き上げようと思ってますから、ボツになることはほとんどありません。ボツる場合はこれつまんなくない?ってなるより、これ完成しないぞってなります。先ほどの例を使うなら、道なき場所に何かを建てようとしている場合だったり(完成するときもある)、材料が足りなかったりです。
自分の中に街でも作ろうとしてるんですかね。よくわかりません。拠点があって、道を作って、建物を建てて、また拠点に戻るを繰り返してる気がします(マイクラみたい)。
街の例えはいいですね。人間みんな自分の中に街を持っているのでしょう。誰かを招きたいですがなかなか難しいですね、人見知りなので。
もうすぐこの街から引っ越すことになるかもしれないとぼんやり思います。できればそんなことはしたくないですが、ずっとここに引きこもってるのも良くないです。それが変わるということなんでしょう。
いつか(十年後とか)この街を見て僕は何を思うのだろう。この街から次の街への道が引けたらいいなぁ、と思います。
街を作らなくなったときが僕の死ぬときなのでしょう。心に留めておきます。