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十代のできれば少女として読めたらよかっただろうなと、そんなことをときどき思う。でも十代の私が少女でなかったときがあったからこその今で、今だからこそそう思うのだろうなと思う。過去に戻ることができたとして、この小説を読みなね、と私が私に渡して、今よりも感動?するのかどうかはわからない。人生で何度も読み返すような大切な小説になったかもしれないし、ふーんこんなもんか、と本棚のなかでホコリかぶっている本たちと同じ運命をたどるかもしれない。そういうのってわからないもので、だからまあいま読んでよかったなと思う方がお得だ。

存在しない少女時代の私を私のなかに持っておくことは気持ち悪いだろうか。何と言われようが構わないのだけど、どう思われるのかは気になる。どちらにせよ、私はたくさんの自分を抱えて生きていくべきだと思うし、忘れてしまうなんてそんな勿体ないことをするべきではない。

色んなものが絡み合ってできたのが私なのだ。

小説のなかでキャメロンは同性愛者矯正施設に入れられる。そこでは罪人(同性愛者)からキリスト教的な正しい人(異性愛者)?になれるようにお祈りだったり、カウンセリングを行う。自分の過去にあったことをひとつひとつ思い返して、話し、罪を犯してしまった原因を探す。

例えばキャメロンは両親が亡くなったからとか、幼馴染にそそのかされたからとか、同性より異性とつるむことが多かったからとか、そんなことをあげる。それらはどれもカウンセリングとして的外れには見えない。ただもちろんキャメロンを治すことはできない。

カウンセリングのなかでキャメロンは自分の感情に対して「変な気持ちだ」と曖昧な表現を使った。それに対して、そういう表現は止めてきちんと言語化するように促される。だからキャメロンはきちんと言語化する。言語化というより感情の描写に近い表現だったけど、とてもきれいな言語化だった。それからカウンセラーはキャメロンが言ったことに対して、もっともらしいことを並べる。あなたは過去にこういうことがあったから、その感情はそこに結びついている。それはあなたの罪悪感の表れである云々。

それはカウンセリングとしては的外れじゃないように私には聞こえ、しかしもちろん同性愛の傾向を治すことにはつながらない。

客観的に見ればキャメロン自身に問題があるのはその通りで、それが両親の死が原因のひとつであることは明らか。ただ問題があるといっても、そもそも問題とは何を基準にして問題なのかという話になる。作中では同性愛が聖書に基づいて問題だとしているけど、他にも未成年飲酒だったり、ドラッグをやったりと不良的な行為を色々やってる。でもそれらはどれも問題であるようには見えないし、キャメロン自身だってそうは考えていない。

ただ社会的に問題であるというだけ。そしてその同性愛者矯正施設には自分が同性愛者であることを本当に問題であると信じて、治そうとしている子もいる。周りの大人たちもそう信じているから、キャメロンや他の子らはその施設に入れさせられた。

キャメロンは「私は同性愛者ではなく、私は私であるだけ」と言う。私が私であることを理解することはできるのだろうか? 例えばカウンセリングのように言語を使って。結局私たちはそういうものに対して、直感的にというか、感覚的に理解していくしかないのだろうなと思う。

そういう言語化できないことに対する不安、わからないことに対する不安みたいなものに慣れていく必要があるし、もっと感覚的に行動していくべきなのだろうなと思う。


なにかおすすめの本があれば教えてください!

https://note.com/qa/niko2_5_