ひとりじゃないってどんな感じ?
わたしの全てのわたしたち
著者:サラ・クロッサン / 訳者:最果タヒ/金原瑞人
https://www.harpercollins.co.jp/hc/books/detail/13057
ティッピとグレースは結合双生児だ。私の知っている語彙だとシャム双生児。体が結合している双子のこと。
グレースの一人称視点(私)で書かれる、詩のような文体の小説。翻訳者が金原瑞人と最果タヒのふたりで、最果タヒって翻訳もやるのかと思って手に取った。後ろのあとがきを読んでみると、金原瑞人が翻訳したものを最果タヒが書き直したらしい。
作品の分類としては児童文学、ヤングアダルト小説になる。なのでとても読みやすい。詩的といっても小説の体をなしてる。構成は日記に近くて、アンネの日記と似たようなものを感じる。フィクション、ノンフィクションの差はあるけど。
とても不思議な感覚の作品で、ふつうの小説のように事細かに例えば身体的な状況とかが描写されているわけでもないのに、終始私の隣にティッピがいるように感じる。
ティッピとグレースは腰の部分で繋がっていて、上半身が分かれている。だから割とふたりは別々のことができて、例えばティッピが映画を見ているときに、グレースは宿題をやっていたりする。
完全にひとりきりになることはできない。産まれてから16年だか17年だかふたりはずっと一緒にいる。同じものを見て、同じものを聞いて生きている。隠し事なんてできない。
だからふたりは時々カウンセリングに通ったりする。片方が話しているときは俯いてヘッドホンで耳を塞いでる。相手に言えないことをカウンセラーに打ち明ける。
でも少なくともグレースはティッピにすら言えないようなことをカウンセラーに打ち明けるなんてことはできない。だからいつも適当なことを言ってその場を終わらせる。
すると次はティッピの番になってはグレースは耳を塞ぐ。ティッピが何かを話していることだけが伝わる。でも何を話しているかまではわからない。
ふたりは孤独と無縁のように見えて、そうではないのだと思う。脳みそがひとつひとつある限り私たちは孤独から逃れられない。そしてふたりはひとりとして扱われることもあって、そういうときはふたりで孤独になる。
物語はグレースの一人称視点で書かれてる。とても内的な視点。詩はそういうものを表現するのにとても優れてる。グレースが見たもの、聞いたもの、考えたこと、感じたことをそのまま同じように感じることができる。グレースが感じる死の匂いをとてもはっきりと感じることができる。
ティッピとグレースは別々の人間。だから別々の人間に恋をする。でも何も特別な恋をするわけじゃない。ふつうの10代の女の子がするような詩的でありふれた恋をする。笑って、泣いて、嫉妬して、キスをする。隣でティッピが眠っている。ただ状況が特別なだけ。
ティッピとグレースは別々の人間だけれど、一心同体でもある。ティッピが何を考えているのか、何を思っているのか、グレースには手に取るようにわかってしまうし、逆も同じ。ふたりはそういう世界を生きている。
ひとりじゃないってどんな感じなのだろう? それとも結局私たちはどこまで行ってもひとりなのだろうか?