さびしくありたいと思うけど、最近さびしくない。また他者に期待しなくなったのかもしれない。

さびしい人が好きだし、さびしいものが好きだ。川上弘美の神様という短編集を読んだけど、ずっと一貫してさびしさがある気がする。短編集で、完全な連作というわけではないと思うのだけど、一貫した雰囲気があって、なんだか日記を読んでいるような気分になった。日記にしては非現実的すぎるのだけど。

「くまに誘われて散歩に出る。」が書き出しで、それが本当にくまらしいのでおもしろい。この書き出しで検索をかけたら、日本語勉強中?の外国人がこの「くま」ってなんですか?とネットで質問していて本当におもしろい。「A bear」と返答が来てる。

上手く言えないんだけど、すごい小説だなと思った。信じられない感性だし、それを共感させるのがすごい。アパートの隣の部屋にくまが住んでるかもしれないと思わせるというより、私もくま知り合いがいたよ!みたいな共感のさせ方をする。

今じゃなくて、別のタイミングで読めてたら、もっと良かっただろうなと思う。3、4年前くらい。ただそのころに読んだら、読んだでよくわからなかったという感想になりそう。読書は私のなかで成長が実感できる唯一の分野だ。

本って読めば読むほど、読めるようになっていくんだなと。

https://www.chuko.co.jp/bunko/2001/10/203905.html

私はさびしい人に見えるのだろうか。最近の私はさびしくなさそうじゃない?どうだろう?さびしさが出るとすれば文章が一番だと思うけど。

どこかさびしそうな人でありたいと思ってる。かといってさびしさを前面に出すのはダサいと思っている。いい?さびしさっていうのはね、人に癒してもらうものじゃないの。さびしさは癒えないものなの。

私は強がりというか、人に弱みを見せられない人間だから、人と一緒にいるときはさびしい?なにそれ?みたいな顔をしている。

でも実際そんなにさびしくないわけで、昔は心に穴でも開いているのかなと思っていたけど、そういう感じでもないよなと最近思う。うーん。大人になったってこと?