都会と田舎
私はふつうの家に生まれて、ふつうの学校に行って、ふつうの大学に行き、ふつうの会社に勤めているふつうの人間だと思ってる。でもその「ふつう」って私のなか(もしくは私の周り)のふつうであって、ちょっと視点を変えてみれば、ふつうはふつうじゃなくなる。
例えば私は自分が大学に行くことを信じて疑わなかったというか、そうなるのだろうなと中学生くらいのころには考えていたけど、私の地元の中学で大学に行った人は半分くらいなんじゃないだろうか。わからないけど。
私が自分が大学に行くだろうなと思っていたのは両親の影響だろう。大学に行けるくらいのお金があって、今の時代、男は大学くらい出てなきゃいけないと思っている。その考えが私にも影響を与えて、そういうものなんだろうなと思っていた。ただよく考えてみれば、うちの両親はどっちも大学には行ってない。だから私はうちの家系で初めて大学に行った人なんじゃないかな。
親としては私がとりあえずどっかの大学に入ればいいと思っている。例えば私が東大とか有名な私立大学に入れるなんて思ってもいない。地元の国立に入れたらラッキーだけど、まあ無理でしょう、という感じだったのだろう。私もそう思っていたし、実際そうなった。
そういう環境で育った人間と、とりあえずマーチくらいは入るのがふつうと周りが思っている環境で育った人間とでは、どちらが良い経歴になるのかわかる気がする。
別に私は自分の生まれを憐れんでいるとかじゃない。そういうのって今更どうしようもないけど、今からだって変えられるものはある。ただ、そういう環境差みたいなものがないように扱われているなと思うだけ。奨学金がありますよとか、そんな簡単な話ではないのだろう。
最近、そういう田舎性みたいなものを考えている。選択肢はみんな平等で、無限にあると思われているような気がするし、実際それはある程度は正しいと思うけど、環境によって見える見えない選択肢に違いがある。
例えば、親が家で本を読んでいるような家庭の子供には本を読むという選択肢が見えるけど、本なんて読む人いるの?みたいな親のもとで育った子供には本を読むという選択肢が見えにくい。
私がそれを感じたのが美術館で、私の両親も私の周りの人たちも美術館に行こうだなんて思ったこともないと思う。まず近くにないし、そういう都会的で文化的なものは自分たちはわからないと思っている。偏見だけどこれに近いものはあると思う。
田舎の良さももちろんあると思う。都会よりも競争的な価値観がないとか。大学に行かないみたいな選択肢がふつうにあるのだと思っている。私は田舎の人間なのでぱっと思い浮かばないけど、田んぼがあるとか畑があるとか、それによって農家になろうと思う人がいるかもしれない。
今はインターネットによって見えない選択肢が減っていると思う。世界にはこんなに本を読んでいる人がいるんだとか、美術館って一般人も行く場所なんだとか、そういうことをSNSを通して知れる。
そうは言ってもインターネットに触れるころには、ある程度人格形成ができあがっているだろうし、周りと違う価値観を取り入れるというのは孤立するリスクもあるだろうから案外難しい。
都会の人間と田舎の人間というは、見てきたものが思ったよりも違うのだろうなと最近思ったりする。私が都会の人間になりたいと思っているから、都会と田舎という分け方にしているけど、何だって同じで陰キャと陽キャでも違う。例えばさっき「髪を染めた!」というツイートを見たのだけど、髪って染めるものなのかと私は思った。似ているように思えても意外と私たちは見てきたもの見ているものが違う。そういうことを最近よく考える。
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