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20歳とかで読んだと思うけど、そのときはよく分からないなと思った気がする。ただ今読んでみると言ってることが全部わかるんだよなと思う。なぜだろう?むかしよりも今の方が思春期的なものを持っているのだろうか?わからない。

主人公のホールデンが妹に「あなたはこの世界すべてが気にくわないんでしょ!」みたいなことを言われて、「そうじゃないよ、僕だって好きなものはあるさ、ねえ、ほんとうさ!」みたいなことを言って、好きなものを具体的にあげられないみたいなシーンがあって、その感覚わかるなと思う。

なんかみんな好きなものをたくさん持っているように見えるんだよね。でも、私からしてみればそんなの何も面白くないわけで、でも他人の好きなものを否定するのはよくないみたいな風潮があって、だからこう何も言えないときがある。

そうじゃないよ、そうじゃないだとしか言えないときがある。本が好きなんでしょう?と言われたって、そうだよ、本は好きだよ、でもさ、好きなものってそうじゃないじゃないかって思う。

ホールデンはそのあと「今こうして君と話してるのは好きだ」と言うのだけど、妹に「そんなの意味ないじゃない」って言われてしまう。

たしかにそうかもしれない。そうかもしれないけど、そうじゃないじゃないか。そうじゃないじゃないかしか言ってないな……

この世界にはなんでも知った気になってるインチキ野郎がいっぱいいるし、なんでもかんでも言葉で定義されてしまう時代だけど、「妹のフィービーと一緒に座って話すこと」については誰も定義できていない。そういう上手く言葉にできない個人的な感情みたいなものがたくさんあって、それが素晴らしいのに、学校みたいな場所でぜんぶ型にはめられて矯正されてしまう。

タイトルはホールデンが言った、「子供たちが素敵なライ麦畑で遊んでいて、子供たち何かの拍子で崖に気づかず落ちてしまう、僕はそんな子供たちをキャッチしたいんだ」的なセリフから来ている。

私としては子供は崖の存在なんて知らずに無邪気に遊んでてほしい。この先は崖があるから、もっと陸側で縄跳びでもして遊びましょうかなんて嫌なわけだ。でも子供に崖の存在を教えないってことは崖から落ちてしまう子もいるわけで、そういう子をキャッチする仕事をしたい。

ライ麦畑でつかまえて、という邦題からするとホールデンはつかまえてほしかったんだろうか。

ジェーンみたいな名前の幼なじみの女の子がいて、その子はチェスだかチェッカーみたいなゲームでキングだかクイーンだかを自陣に押し込めちゃうような子で、でもそういう子も高校生とかになるとくだらないイケメン野郎にばっちりやられちゃうわけだ。そういうのっておいおい泣けてくる。

そういう子をキャッチしたいわけだ。わからないけど。そういう意味で言うとホールデンは崖から落ちたわけじゃなくて、浮いてるのかもしれない。

練習として少し視点を広げて考えてみる。

昨今は多様性多様性と言って、これまではバラバラだったものに名前を与えてまとめているような雰囲気を感じる。MBTIとか。

個人的なものを自ら持ち寄って型にはめてるような感覚があるんだよなあ。私ってこういう人間なんだけど、私と同じ人っている?みたいな。

ねえ、あなたの推しは誰?みたいなのって結構嫌になる。私の好きなものを教えたところであなたたちに私の何が理解できるのさ。私には私として生きた時間がその推しとやらと歩んだ時間より長いんだぜ。

何が言いたいのか自分で分からないけど、そうじゃないんだよと思うことが多い。