この世界は何かがおかしい。そう、今まで見てきたはずなのに、そういうものに対して無関心だった。それは私がおかしさの内側に属していたからなのだろう。

気づいてなかったわけじゃない。ただ忘れていただけ、考えることを放棄していただけ、仕方がないと、そう、素通りしていただけ。気づいてなかったわけじゃない。ただそれが大きすぎて、私もそのなかに含まれていて、全貌を掴むことができていないのだろう。

そういうものを暴こうとしている活動の一種がフェミニズムなんだろうなとようやく気づいた。フェミニズムという言葉の対象のピントがずっと合わなくて、どうもずっともやもやしていた。そういう人ってわり多いんじゃないかと思っている。

この世界は根本的におかしさを孕んでいて、それを前提としてその上に社会が成り立ってしまっているから、そのおかしさに気づけない。

例えば女性しか子供を作れないというのは構造としておかしい。どちらも作れた方が直感的に正しいし、そもそも性別が分かれているのもよくわからない。ただ生物として繁栄していくにはこの形がなぜか最適なのだろう。たぶんそれはこの世界が根本がおかしいから。

そういうおかなしな世界の上に社会が成り立っていて、その社会もまた世界のおかしさから生まれた別のおかしさを孕んでいる。そういったものを切り分けられていないから、おかしな議論が繰り広げられることになる。

川野芽生の短編集「無垢なる花たちのユートピア」を読んだ。エッセイも読んだのだけど、この人はずっとこの世界は何かがおかしいと言い続けているように思えた。あと、ノンバイナリーの人々のエッセイ集みたいな本も読んでいるけど、これも同じようにこの世界はおかしいと言い続けているように思える。

短編集の最後に載っている「卒業の終わり」を読んだ感想がここまで書いた文章なのだけど、ここまで直接的に書かれないと私には見えないんだなと思った。

私はふだん目を閉じて生活しているのだと思う。私は高校生くらいのときに目が開いてしまって(思春期によくあるように)、この世界のすべてがよくわからなくなったことがあった。当時は受験期で、この人たちはなんでこんなに勉強をしているのだろう?と本当に怖くなった。こんなに日々は地獄なのに、これから社会という更なる地獄へ行くということが、この人たちには見えていないのだろうか?

今は過去の私が地獄だと思っているところにいるわけだけど、そういったものからは目を逸らすようにして生きている自覚がある。別にそれが悪いことだとは思わないけど、けどどうすればいいのかわからない。

「卒業の終わり」を読んで、この人には社会がこう見えているのかと驚いたし、こんなふうに自分の見てる世界を書けるのはすごいなと思う。全然違う世界を見て生きている人がいるんだなと思うし、逆に私と似たような世界を見ている人もいるんだなと思う。創作ってそういうものだよなと改めて思った。

フェミニズムでもLGBTでも何でもそうだけど、そういったものってマイノリティーが主語になって語られることが多い。そういった言葉に対して、そこに属さない私はどうすればいいのだろう、何を思えばいいのだろうとよく思う。マイノリティーに属さないということはマジョリティーに属しているということだ。

私の言葉や思いは私のマジョリティー性によって潰されている。そんなことがあってはいけないと思う。それがどんな人でさえ。それがたとえどんな人であってもマジョリティー性によって、その個人を押しつぶすようなことがあってはいけないと思う。

でも現実はなかなかそうはいかない。犯罪者は牢屋に隔離しないといけないし、生きるために多くの生き物を殺さなければいけないし、愛する人を助けるために世界は犠牲にならなければいけない。

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