【小説】They
美咲の頼みで渋々参加した旅行だったが、案外楽しかった。一泊二日の那須旅行。美咲と私と、美咲の大学のバンド仲間の藤代くんと宮下くんの四人。美咲以外の二人とは面識がなかった。バンドメンバー三人で旅行にでも行こうぜ、ということになったのだが、どうにも女の子一人だと何かと心細いということで私に白羽の矢が立ったらしい。「せっかくみんなで旅行に来ているのに、一人でホテルの大浴場に入ったり、ベッドが二つある部屋で眠るのってなんだか嫌でしょう?」と彼女は言った。だったらもっと近場に行けばいいのにと私は思ったのだが、何かと計画を立ててしまってから不安に思ったらしい。そういうところが美咲らしいし、そして他の二人と全く面識のない私を誘うのも彼女らしいと言えば彼女らしかった。
私たちはホテルで夕食を済ませ、フロントの横にある売店でお土産やら夜食やらを買うことにした。美咲はポテトチップスやポッキーなどのお菓子をカゴに詰め、藤代くんはせっせとお酒を手に取っていた。このあとどちらかの部屋に集まってパーティーでも始めるのだろうか? 慣れないメンバーでの旅行につかれていた私は少し憂鬱になった。
私が両親や友達へのお土産を見ていると、宮下くんは買い物かごを持たず、ペットボトルのお茶一本をプラプラ持ちながら興味なさげに店内を歩いていた。彼は基本的には無口で(と言っても全く話さないわけではない)、何を考えているのかイマイチわからないところがあった。美咲と温泉で二人きりになったタイミングで、そんな彼のことを聞くと「良い奴だよ」という言葉が返ってきた。それから「絆創膏を持ち歩いているし」と彼女は付け加えた。たしかに今日、美咲が山道で足を滑らして手を擦りむいたときに、彼はカバンから絆創膏を取り出して彼女に渡していた。ただ自ら率先してというわけではなく、美咲の「誰か絆創膏持ってない?」という質問に対しての返答として渡したような形だった。
対して藤代くんは体も大きくて体育会系の雰囲気を醸し出していた。彼についても美咲に聞くと「あいつも良い奴だよ」と少し照れながら言った。たしかにその通りで、彼は文句のひとつも言わずに一日中車を運転していたし、飲食店の店員やホテルの受付の人たちとの対応はぜんぶ彼がやっていた。私たちは彼の大きな背中の後ろでそれをただ見守っているだけで色んなことが片付いていった。藤代くんと美咲は恋人同士だった。
不思議なメンバーだ、と私は売店で各々好きなものを手に取る三人を眺めながら思った。例えば宮下くんは藤代くんとふたりきりのタイミングでどんな会話をするのだろう。そういうことが全く想像できなかった。藤代くんと美咲は恋人同士で、二人とも宮下くんの人と安易に距離を縮めない性格をきちんと受け入れている。一見いびつに見える三角形がきちんとバランスを保って、三角形として持続していた。
「それしか買わないの?」と私が尋ねると、宮下くんは質問の意図がわからないように曖昧な返事をした。私は自らの買い物かごの中身を見せ、「お土産とか」と付け加えた。彼はようやく私の質問の意味するところが分かったらしく、「ああ」とつぶやいた。
「欲しいものとかないから」
「ふうん」
私はそう言って彼の持つ500mlのペットボトルを眺めた。
「じゃあさ、友達とかにお土産買ったりしないの?」
私がそう言うと彼はなぜか少し笑った。
「そんな友達いないから」
「そうなんだ」
「浜崎さんは、それ誰へのお土産なの?」
彼は私の箱が山積みになった買い物かごの中身を見ていった。
「友達と、親にかな」
「家族と仲が良いんだね」
「そうかも、いまも一緒に住んでいるし。宮下くんは違うの?」
私はそこまで言って、ハッとした。もしかしたら家族関係に何か問題があるのかもしれない。でも私の心配はすぐに杞憂に終わった。
「悪くはないと思うよ。ただよくわからないだけ」
「家族のことが?」
「家族というより、誰かにお土産を買ったりするってことが、かな」
私はどう答えていいかわからず、助けを求めるように店内を見渡した。すると二人でお土産を選んでいる、美咲と藤代くんが目についた。
「あの二人って恋人って感じがしないよね」
話を逸らすように私が言うと、彼も私と同じように二人の後姿に目をやった。その姿は恋人というより、友達や兄妹のそれに近い気がした。
「そうだね。ふたりとも他人の目があるところだと強がるから」
「宮下くんの前でも?」
「私の前でもだよ」
『私』と思った。彼は自分のことを指すとき『私』と言う。男性の口から出る『私』という一人称に戸惑った。何か特別な理由があるのだろうか。そんなことを考えるが、そんなことを聞けるわけがなかった。
宮下くんが「私は眠いから帰る」と言ってくれたおかげで、お部屋でのパーティーはなくなった。美咲の良い奴だよという発言から、彼は私のことを気遣ってくれたのかもしれないと思ったが、単に本当に眠たいだけなのかもしれない。彼の言葉に美咲と藤代くんは残念そうにまだ会計前のお菓子とお酒を棚に戻しに行った。
私たちはそれぞれ隣同士の部屋の前で別れた。明日の朝食は朝の8時ということだった。今日初めて会った人たちに「おやすみ」というのはなんだか不思議な感じがした。
私と美咲は部屋に入るや否や、寝支度を整えてベッドの上に寝転んだ。なんだかひどく疲れた一日だったが、終わってみれば断片的な記憶だけが残り、なんだか一瞬の出来事のような気がした。
女同士とはいえ、こんなふうに無防備な状態で隣り合ったベッドで横になっているのは変な感じがした。背中をずっと擦られているような、そんな落ち着きのなさがあった。でも今日は特別な日なのだと思った。でもすぐにそんなことはないのかもしれないとも思った。永遠に流れつづける時間のただの一点なのかもしれない。
「お菓子食べる?」と美咲が言った。
「体に悪いから食べない」と私は返す。
「可愛くないやつ」
「可愛くなりたいんだ」
「あっそ。じゃあ、電気消すね」
「うん」
美咲は体をよじり、枕元にあるスイッチに手を伸ばした。パチンと電気が消え何も見えなくなる。
「真っ暗大丈夫?」と暗闇から美咲の声がする。
「うん、私は平気」
「ねえ」
「ん?」
「やっぱりちょっと明かりつけていい?」美咲が言う。
「可愛いやつ」
「うるさいなあ」
足元用の明かりをぼんやりと灯った。闇にも目が慣れ、隣で眠る美咲の輪郭がぼんやりとわかるようになる。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
私は目を閉じた。不気味なほど静かだった。私はドアの向こうの、誰もいない長い廊下を想像した。その奥の奥でなんだか恐ろしいことが行われているのかもしれない。そんな静けさだった。
隣の部屋からどんと壁に何かがぶつかった音がした。藤代くんと宮下くんの部屋だった。ふたりはどんな会話をしているのだろう。耳を澄ましてみたが何も聞こえなかった。
「今日売店でさ、宮下となに話してたの」
美咲の声が言った。なんだか長いトンネルのなかを通ってきたかのように不思議な響き方をした。
「何でもないよ」と私は言ってから、「あ」とつぶやいた。
「ふたりは本当に付き合っているの?」
私の声も同じように不思議な響き方をした。
「なに、恋バナ?」
「いいじゃん、修学旅行みたいで」
美咲が布団のなかで寝返りをうって、私に背を向けたことがわかった。私はぼんやりとした彼女の輪郭を見るたびに身体を彼女の方に向けた。
「付き合ってるよ。それがどうかした?」
「ううん。ただそんなふうには見えなかったから」
彼女は「うん」だとか「ああ」だとかそんな返事をした。もう何も答えたくはないのだろう。
「私さ、まだ誰とも付き合ったことないから、ふたりはどうして付き合っているんだろうって思っただけ」
彼女は何も答えないだろうと思った。別にそれでもよかった。私はただなんとなくこの真っ暗で音のない空間を満たす言葉が欲しかっただけだった。
「私がくだらないヘテロセクシャルだからだろうな」
私は「そっか」とつぶやいた。彼女の言葉の意味はわからなかったけど、彼女が抱えているものは見えた気がした。それだけでいいのだと思った。
「相手のことを、何も知らなくてもずっと一緒に居れたらいいなってときどき思うんだ。相手のことを何も知らなくても傷つけることはない。そんな関係がいちばん良いのかもしれない」
その夜、私は夢を見た。私は森のなかの一本の木になっていた。周りにはたくさんの木が生えていて、美咲も藤代くんも宮下くん私と同じように木になっていた。みんな見た目はそっくりそのまま一緒なのに、どうしてか私にはその違いがわかった。幹の筋や、枝の付き方、葉っぱの数、色、そんな些細な違いが私にはすべて分かった。それはみんなも同じようだった。私のこともすべて理解されているのだと思った。ここにこうして立っている限り何ひとつ隠すことなどできないのだ。私は目を閉じた。正確には木である私に目はないので意識を閉じた。私は誰も何も理解などしたくはなかった。