日記 好きなものを作る努力
自分が持っていない言葉を使う人に惹かれる。難しい言葉とか、知らない言葉というわけじゃなくて、なんというか私の語彙にない言葉、私が使わない言葉、あまり聞かない言葉。
中学のころ、4人で前後2人ずつで歩いていたとき、後ろから「前のおふたりさん」と声をかけられたときなんだかドキッとしたことをなぜか未だに覚えている。小説や映画、ドラマではよく聞くような言い回しだけど、現実ではあまり聞かない気がする。
単純に私が話すことを苦手としているからかもしれない。書き言葉と話し言葉って違う。小説の会話文だってそのまま日常会話にしたら変になる。それでいうと私は「そんなの~~だわ」とか「それって~~よ」みたいな話し方が好きなのだけど、今時そんなふうに話している人っていない。
***
小説を書けないのなら生きていたって仕方がないよな、とよく思うのだけど、そういう考え方って良くない。何でも極端なのだ私は。自分で自分の生き方を決めて、苦しめているなと思う。
別に小説を書いていなくたっていいじゃないか。自分から自分への価値、評価のすべてを、小説を基準に決めるのはよくない。あなたの価値はそれだけじゃないでしょ?と思うのだけど、じゃあなに?と考えると出てこない。
相対的な価値に意味を見出せなくて、絶対的な価値を求めてしまう。
他人と比較しないとよく言うけれど、他人と比較しなければ自分の価値は自分で決めなければいけなくて、人間は移り変わっていくけれど、生きてるだけで価値があるなんて思えない。死んでしまった人たちには価値がないのか。死んでしまった私に誰が価値を与えてくれるのか。
***
大学生のころは小説家になりたいと思っていたけど、だんだん現実的じゃないなと思い始めて、夢というものがなくなった。みんな何を目指して生きているのだろう。不思議で仕方がない。
最近、私は働きたくないだけなのだなということに気づいた。もっと言うと他人と関わりたくない。私の小説家のイメージって家でずっと小説を書いていて、会う人間と言えば担当の編集者くらい。ああ、なんて理想的な生活なのだろう!って思う。
私は小説家になりたいんじゃなくて、そういう生活がしたいんだと気づいた。私が突如、億万長者になったら小説家になろうなんて思わない気がする。小説は好きだから書きたいけど、所詮その程度なのだ。
やりたいことってない。ただやりたくないことは多くて、それはなくなってほしい。ただやりたくないことをなくすというのはなかなか難しい。
私はプラスを積み上げるより、マイナスをなくすことに重きを置いている。よくないよなとわかってはいるのだけど、どうしたらよいのかわからない。自殺とか希死念慮みたいな言葉を使いたくはないのだけど、そういうものって「マイナスをなくす」の典型だよなと思う。何でもかんでも嫌うのではなく、これはプラスだよねというものを増やしていかなければいけない。好きなものを作る努力なんて言うと笑われそうだなと思う。