ツイッターを見てるとなんだか死にたくなくなる。そこには共感できるものがひとつも転がっていないから。どうして人々はこんなくだらないことと延々とやっているのだろう?生きていてもつまらないだけなので、私はもう死んだほうがいいのかもしれないと思う。

かといっておもしろいものもツイッターにしかないので、こうも死にたくなるのだろう。いったんみんな死んでもらって、それから色々と考えたい。

死にたいという感情に慣れっこというか、死にたさの入り口に立っているだけなのでさっさと引き返す。私の場合はその入り口がすぐそばにあり、そこから先が延々と長く果てがない。

とりあえず図書館へ行く。家に居ても文章も書けない、本も読めないだと死にたさのなかを歩いていくしかないので、別のところへ行く。

女性の生きづらさとかそういったものを知りたくて、社会系の本が置かれている棚へ行く。二段分くらいの本が置かれていた。以前より増えている気がする。ぱっと気になるやつを二冊取って、どちらも三分の一くらい読んでみたけど、それって男女あまり関係ないんじゃ……ということが書いているので読むのをやめた。

たぶん女性が社会に進出したことで、いままで見えづらかった社会の歪みが表面化しているのだと思った。本のなかに「私は女だからだというだけで昇進できず、私より仕事のできない男が昇進した」と書かれていた。それは昇進の理由にその仕事の優秀さ以外に私情が入ることがおかしいのであって女性という性別の問題じゃない。そういう社会の歪みを新しい視点が入ることで、正されていくのは良いことだなと思う。そういうのって時間が経てば消えていくような問題な気はする。

私は社会となるべく関わりたくないので、そういう本が読みたいわけじゃない。でも社会が本当にくだらないから、そういうくだらないことをまず直していかなきゃいけない。セクハラはカスですよ~なんて男女関係なくカスなのに、恐竜さんが闊歩していた時代から決まり切っていることなのに、そんなことをいちいち議論しないといけない。もっと本質的なことの話になるのはもう少し後なのかな。

男女でわけて考えるのはあんまりよくないなとは思う。でもみんな案外男性として生きること、女性として生きることみたいな誇りを持っている。私は私であって、私の生きづらさは私だけのものであるはずなのに。

私が男だから女だからみたいに考えることもやめたい。大抵のことは恐竜の時代から決まっている。