日記 かわいくなるより鏡を割った方が早い
今日は一日本を読んで過ごした。良い休日、良い一日。つまりやらなきゃいけないことは何もやっていないということなのだけど、本は読めるときに読め、小説は書けるときに書け、というが我が家の家訓なので問題ない。
読んだ本はプラトンのソクラテスの弁明、ショーペンハウアーの幸福について。幸福についてはまだ途中。
ソクラテスの弁明はほーんという感じ。つまらなくもないし、おもしろくもない、読みやすかった。またプラトンを読んでみようと思う。幸福についてはけっこう良い。私の生き方を肯定してくれる感じが良い。
社交的であることが正義みたいな世の中なので、友達がいないとか恋愛経験がないというだけで生きづらい。だから私はもっと社交的になるべきだと思って努力している。わかりやすい例だと文フリに行くとか。
でもそういうのって正直むかしからよくわからない。私が興味があるのは結局私自身だけで、なんというか他者を通して何かを得るみたいなものに興味があまりもてない(でも承認欲求がある)。他人に心を動かされるのって、良くも悪くも私にとっては労力に見合ってないと感じてしまうことが多い。
でもそういうのって慣れと経験なのかなとも思うから、文フリには行くし行けそうなイベントごとには参加したいと思ってはいる。
ただどうやって生きるのがいちばん生きやすいのだろうってよく考える。ショーペンハウアーは、幸せを掴むより不幸を回避しろと言っている。それって個として生きろという意味だと私は思った。これは私の理想の生き方と考え方が近い。私は丘のうえとか、山のなかとかで一人で生きていきたい。
でもそういう生き方をしてる人がほとんどいないように、私にはそんな生き方はできないのではないかという不安がある。いつか本当の孤独がやってきて私を殺すのではないかと思う。
私はマイノリティであることを自分のアイデンティティと捉えている節があるけど、マジョリティになりたいと思うことがたまにある。やっぱり純粋に生きづらい。マイノリティの生きづらさって色々あると思うけど、私はなんていうか「お店に服を買いに行ったら私のサイズがない」みたいなことだと思っていてそういうちょっとした疎外感みたいなものをずっと感じている。
世界に私のためのものがない。流行りの音楽もアニメも映画もだいたいわからない。旅行の計画を立てるにしても、良いとされているところのなかに行きたい場所がひとつもない。
そういうことをいままでは私のせいだと思っていた。なんでもかんでもつまらない、くだらないって言わない!楽しいところを探さなくちゃ!みたいな。
でも結局は私は私のなかにしか興味がないから、そういう外的なものに興味が薄いだけ。そんなことはわかってはいたのだけど、良いことではないように思っていた。それを肯定されたように感じた。ショーペンハウアーは精神的に未熟(?)だから、外的なものに幸せをもとめるみたいなことを言っていて、それはさすがに言い過ぎだろうとは思った。
どうすれば生きやすいのだろうなとよく考える。私のサイズの服がないならそのサイズが売ってる店に行けばいい(ネットで買えばいい)というだけなのだけど、別にそこまで服が欲しいわけじゃない。だって服なんて鏡と人の目がなければただの布じゃないかって。でも好きな服を着ることの嬉しさみたいなものもわかる。
そうやって騙し騙しで生きていくのも生き方のひとつだと思うし、私はそうやって生きてきた。じゃあ私にとって偽物じゃない生き方ってなんなんだろう。小説を書くこと、本を読むこと。でもそれだけで生きていけるほどの才能は私にはない。
結局私は、私が羨む人々を否定したいだけなのかもしれない。それだけのためにこれだけの文章を書いてしまえるし、生きようって思える。