仕事で帰り際、直属の上司ではないけど職場の偉めの人に声をかけられた。この前、私が仕切らなきゃいけない打ち合わせでの説明相手?だった人。なんだろう。何か聞かれても答えられないぞ……と思っていたら「この前の説明わかりやすくてよかったです」と褒めてくれた。

一回軽く顔を合わせただけの私を覚えてくれているだけでも感激なのに、わざわざそれを言いに来てくれるなんてすごい良い人だ……と思った!がんばって資料を作ったので褒められるのはうれしいのだけど、そんなことより私の周りにこんな良い人がいるという安心感の嬉しさが大きかった。

帰り道はルンルンで車を運転する。前に入りたそうにしてる車すべてに道を譲った。信号のない横断歩道で中学生が立ち尽くしていたので、車を停めるとぺこぺこしながら横断歩道を渡っていった。

良い人でありたいなとよく思う。そして子供たちにはこの世界も、大人も悪くないと思ってもらいたい。「この世は生きるに値する」という宮崎駿の言葉についてよく思う。この世界をくそだと言うのは簡単で実際にそうなのかもしれないけどそんなふうに言ってしまいたくはない。

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読み手に寄り添って書くということについて考えているので今日の出来事は少し自信になった。たしかに私は昔に比べて誰かに伝える能力みたいなものが向上した気がする。理由はなんだろうと考えてみた。小説を書いていることがまず一番に浮かんだけど、小説は大学生だったころから書いてる。学生のころはプレゼンみたいなものが苦手だった。いまも苦手だけど。

じゃあなんだろうと考えたとき、この日記じゃないかと思った。私は小説を書くときに読み手を意識することってほとんどない。でも日記を書くときはわりと読み手を意識する(ふつうは逆な気がするけど)。

あと物事を理解する方法みたいなものがわかってきた。なんというか一歩引いて世界を見れるようになった気がする。これも日記のおかげだと思ってる。いいことばかりだなあ。

noteにこうして色々書くようになって、自分の考えを言語化することが上手になったと感じる。それはけっこう社会に出てから役立っている気がする。でも小説を書いてきたことは全然役立っている感がない。

でもまあそういうもんだよなとも思う。あいつは何でも食べるけど、リターンは何も渡さない。コナン(もしくは工藤新一)が探偵に不要な知識なんてないみたいなことを言っていたのと同じで、noteも仕事も日々生きることもすべて小説の糧にはなるけど、小説がそれらの役に立つことはあまりない。たぶんコナンも「おれ、探偵でよかったあ」と思ったことはないはず。

最近は創作がんばりたい期が来ている。ツイッターを見る代わりに短歌を読むよう心がけてる。そうすると現実世界から離れて、静かなところへ行けそうな気がする。