午前中は本を読んで過ごして、11時ごろにお腹が減ったので焼うどんを作って食べた。買い物に失敗したので、家になにもなくえのきと目玉焼きが具材だった。私は、ラーメンを食べたいのだからチャーシューとか具材なんて要らないみたいな考え方をするのだけど、何もいれないとなんだか自分がみすぼらしくなってしまうような感じがして具材を入れている。

小説を読んで一日を過ごすたび、私の幸せはこれだ!と天啓のように思うのだけど、いつもそれを忘れてしまう。本を読むには何かしらのエネルギーが必要でいつもそれが不足しているのだと思う。

と言っても振り返ってみればいつも何かしらは読んでいて、記録したりしていないからそれを忘れているだけだったりする。読書メーターみたいなものをやろうかと思ったけど、めんどくさくてまだ手を出せていない。

図書館で借りてきて本を読んでいると、読んだ記録のようなものが何ひとつ残らない。だから自分が何を読んできたのか全く覚えてなかったりする。自分が読んだ本くらいは覚えておきたいので始めてみるかと思うのだけど、どうせ続かないんだよなと手が止まる。

私は小説しか基本的には読まないので、勉強のためにノートを取ったりはしないし、感想も基本的には残さない。それはなんというかわざわざ言語化する必要がないというか、受け取ったままの形で持っておくべきなんじゃないかと思うからだ。

でもときどき言語化しよう、感想を書こうと思うことがあって、それはこうしてnoteにしている。私がいま読んでいるのはキム・チョヨプの「地球の果ての温室で」。ジャンルはSFになる。短編集の「わたしたちが光の速さで進めないなら」を読んでそれが良かったので、図書館にあった長編を借りてきた。

短編の方を読んだときはどれもあと一歩で本当に美しいところへ行ける……って感じだった。上から目線のようになってしまうけど、やろうとしていることはすごく好きで、読んでる最中は美しいところへ進んでいっているという感覚があった。でもどれもあと一歩、あと一歩なんだよというところで終わってしまう。

批判しているわけじゃなくて、もどかしい感じ。きっとそのうちその一歩を超えて美しいものを創ってくれるだろうなという期待がある。いま読んでいる長編がそれになるのかと言われると怪しいけど、すらすら読めるし読んでいて好きだなと思うので、感性が近いのだと思う。

作者は韓国の若い女性で、あまり良い言い方じゃないけど若い女性が書いたという感じがする作品だった。SFというと論理的にきちきち数学みたいにストーリーを組んでいくイメージがある。安易な言い方をすればそれは男性的ということになって、彼女は感情を書くことに重きを置いている気がする。感情があってその裏にSFがあるという感じ。好きだなと思う。

最近読んでよかった小説を紹介しようと思う。向坂くじらの「いなくなくならなくならないで」表紙とタイトルだけ見て読みたい!と思って、内容も読みたいと思ったまんまな感じだった。好きですねって感じの小説。

あとは図書館で本を借りてくるまで本棚にあった、村田沙耶香の「しろいろの街の、その骨の体温の」を読んでた。村田沙耶香のなかではいちばん好きな作品。本の帯に「学校嫌いのすべての人に贈る」みたいなことが書いてあって、それを見るたびにこれを贈られても困るんじゃ……と思った。

好きなものはなるべく、外に出していきたいなと思う。それを見た人が、その小説と私を結びつけて考えてくれるようになる気がするから。なんというかそういう記憶の残り方をしたい。街中でその小説と出会ってぼんやり私を思いだすようなそういう人に私はなりたい。

昨日Amazonで注文したハン・ガンの「すべての、白いものたちの」が届いた。なんかタイトルが村田沙耶香のと似てるなといまふと思った。文庫本で900円。ちょっと高すぎるんじゃないですか、と思う。定価850円とある。「しろいろの街の、その骨の体温の」は定価700円。手元にある他の文庫本は定価500円くらい。物価って上がってるんだなと感じる。私の文庫本のイメージは500円なので認識を改める必要があるのかもしれない。

配達員さんは置き配で宅配ボックスに入れてくれたのだけど、そのときのパスワードが「0721」だった。今日は7月じゃないし、部屋の番号とかでもない。ちなみに数か月前にも「0721」だったことがあった。その人の誕生日なのかもしれない。そういうことを考えるのが好き。