今日は家から出ない。なぜなら明日出るから。国立西洋美術館にでも行ってモネを見てこようと思ってる。モネについては名前と職業しか知らないし、美術館に行くのは初めてだけど、私はこういうとき「行くこと」に意味を見出すことができるタイプだから何もわからなくても問題ない。

今日は朝からゲーム(ゼンゼロ)をやった。特に面白いとは思えないけど、時間を潰すことはできるし、何とも言えない快感みたいなものがある。バトルの爽快感かな。一切難しいことをやっていないのに、なんかすごいプレイをしてる感みたいなのを出すのが上手い。常に映像がガチャガチャ動くし、ボタンの入力を強いられてる。

何も考えないでできることに価値を見出せない。だからいままではこの手のゲームは好きじゃなかった。いまも好きかと言われたら好きではないのだけど、社会で疲れた脳に適度な刺激を与えるという点では良いのかもしれない。でもそれは同時に考える力を奪われているような気がして怖い。

考えていない時間に価値はないのだろうか。もしくは心が動かない時間。私はいままで「ない」と断言してきた。でもそれが生きづらさに繋がっていることもわかってきた。だからそれを許すことが、価値のある時間に繋がっていくのかもしれない。

集中力がなくなってきている。私の人生で一番集中力があったのは小学生ころだと思う。何時間でも小説を読んでいられたし、ゲームもできた。いまはどうだろう。一時間ちょっとくらいしか集中力は持たないし、すぐに飽きてしまう。

自分を状態を理解することが、人生を楽しむために重要なことなのかもしれない。集中力が切れているのに無理やり本を読んでも仕方がないし、やりたくないことを無理してやって、果たしてそれが価値につながるのかと言われれば疑問。

連休の初めにカラマーゾフの兄弟を読んでみようと思って図書館で借りてきた。でも結果ほとんど読めていない。なんだか読む気になれないし、一ページ目から引き込まれるような親切な小説でもない。

だからここ1か月くらい読んでいた1Q84をカバンから引っ張り出して読んでみるけど、これもなかなかページが進まない。村上春樹が読めないことって、いままであんまりなかった。私はいつも困ったら村上春樹を読む。人生における指針であり、避難所であり、パートナーのようなものだった。

でも読めないものはしかたがないと床に放りなげる。1Q84自体は3度目とかなので特に続きが気になるとかもない。それから文フリで買ったアンソロジーを手に取る。目当てだったフォロワーさんが書いた小説を読むけど、上手く読むことができない。目が滑る。

それから同じく文フリで買ったZINEを手に取った。これは不思議と読むことができた。流し見だけどパラパラ読めた。もう一冊同じように手に取る。これも読むことができる。

そこで私は小説のような重たい文章が読めないのだと気づいた。手軽に読める文章がいまの私にはあっているのだと。意味とか価値とかそういう難しいことを考えずに読める文章。ドストエフスキーやら、村上春樹が書いた文章というのは意味やら価値やらがありすぎるのだと思う。だから素人というのも変だけど、そういう身軽な文章にもそれにしかない価値があるのだなと思った。私が書いているこれとか、noteで繋がっている方たちの文章とか。

その読んだZINEというのはひらりささんの「私たちって友達?」という本。なんかよかったなぁというふわっとした感想になってしまうのだけど、友達ってなんだろうってまた考えるきっかけになった。

友達に求めているものってなんだろう?特にないというのが私の答えになってしまう。参考までに友達でも恋人でもSNSのフォロワーに対してでもいいので、相手に求めることをコメントで教えてくださると助かります。

何も求めることがないということは、いらない、必要がないということなんだろうなって思った。少なくともいま(2025/1/4 17:14)の私には。現在進行形で定期的な関わりのある友達っていない。関りはないけど、互いに友達って思っているだろうなという人はひとりふたりさんにんくらいいる。

あけおめのラインが今年はその内のひとりからだけ来た。去年はふたりだったと思う。そういえば来てないなとさっき気づいた。こんなに受け身なのだからそりゃあそうだろう。

ツイッターにはあけおめと言ったのに、友達には言うという選択肢がなかった。一応言っておくと、頻繁に会っていた学生時代も「あかおめ」なんてやり取りはなかった。

このまま関係がなくなるならなくなるで別にいいかと思ってしまっている節がある。それはすべての人間関係に対して言える。ある日いなくなってしまったら、それはとても寂しいけれど寂しいだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

そういうのって相手に対するリスペクトがないとよく思う。でも私が決めることではないと思ってしまう。他責で受け身な思考。私との関係をどうしたいかはあなたが決めてくださいというスタンス。

他者に対して自分の意思みたいなものがあまりない。重要なのは私がどうしたいかより、あなたがどうしたいかだと思ってしまう。あなたが私と友達でいたいなら、私は友達でいるし、それ相応の努力をする。でもそれって相手から1もらったら、1を返すというやり取りでしかない。

だからいまは、気になる人(という言い方は恋愛っぽいけど)に対しては1もらったら、2を返すように心がけている。いつか初めの1を渡せる人になりたい。

マシュマロ


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