日記 ごちゃごちゃ
今日は朝の4時に目が覚めた。特に予定があるわけでもないのだけど、休日が楽しみすぎた。特に変わったことはなく普通の土曜日だった。
朝起きて、ぼんやりして、ご飯を食べて、それから憧憬さんとの最後の文通を書いた。返事の来ない手紙を書くというのは変な気分。見返りを期待しないものを相手にあげるというのは、なんというか、趣がある。
当たり前だけどこの文章は憧憬さんも見れるので、あんまり色々書くのは気恥しいけど、何かしらの形で残ってくれたらうれしいと思う。
話が申し訳ないくらい変わるんだけど、昨日職場で知らないおじさんが部下と話しているのをたまたま耳にした。いまから内容を私が覚えてる範囲でそのまま書くのでちょっと閲覧注意。前後の文脈はわからない。
「中国人ってお風呂に入るの?臭くないの?そういえば昔黒人とそういうことをした人が獣の匂いがしたって言ってたよ」
それを聞いて初めはすごいなこのおじさんと思った。でもそれはだんだん得体の知れないものに触れたような恐怖に変わった。
それ以降はふつうに話していたと思う。なんかこうナチュラルに会話の中に混ぜこまれていた。でも部下の人は引いていたと思う。
別に私にはそういうおじさんを断罪したいみたいな思いは一切ない。おじさんには好きなことを自由に喋る権利があるし、盗み聞きしてる見ず知らずの私に気を使う必要なんてない。
今日そのことをまたふと思い出して、例えば私がこの人に「その発言ありえないですよ」とパンチする権利はあるのだろうかと思った。
私は当事者でもないし、会話に参加してるわけでもない。ただちょっと不快になっただけの通りすがり。
でもこれがツイッターだったらパンチじゃ済まないくらいなことを言われる可能性があるだろうなと思った。きちんと炎上したら殺害予告みたいなものから、人格否定まで飛んでくるだろうことは想像にかたくない。
変な世の中だと思う。私はどっちがありえないかだったら、断然後者の人たちだと思う。
でもそれを対面で言われたらきちんと批判する権利はある。でもそんなこと実際に言えるだろうか?私は絶対に言えない。そもそもそんなふうに感じないと思う。
あとから考えれば、あの発言はありえなかったと思えるだろうけど、反射的に会話の中では絶対に言えないし、もし仮に思ったとしても言わない。人には言論の自由があると思っているし、それにきっとどうでもいいと思っているのだろう。
でもその発言の矛先に明確に傷つく人がいるなら話は変わると思う。そういうときに、バッと立ち上がってなにかを言える人でありたい。そのために私は孤立してるのだ。
でも矛先が向いていないのなら私は、その人が勝手に傷ついているのだけなんじゃないかと思ってしまう。
SNSでの傷は基本的には自衛の範疇だと思ってる。だから炎上のほとんどは意味がわからない。でも現実は違う。
現実の私は誰かを傷つけること、と自分が傷つくことが怖くて基本的に人と話さない。私は自分の傷に対して鈍感で、そのせいで他人の傷に対して敏感になっているような気がする。どの言葉が他人を傷つけるのかわからない。だったら喋らなくていいやと思ってしまう。リスクとリターンが釣り合わない。
正直、今の私が現実で話す可能性のある人って会社の人だけだから、報連相だけできればいいやと思ってるふしもある。
でもきちんと自分の言葉で話したい人というのはいるし、そういう人に対しては傷つけても仕方ないと思って話すようにしてる(したいと思ってる)。そうじゃないと会話にならないというか、もう会話というものがよくわからない。
ただ、もっと自分を出していかないと、そういう人に出会えないぞという怖さもある。どうやって人と出会うのだろう?
好きな人は、私が好きな場所にいるって読んだから、図書館にしょっちゅう行ってるけど、勉強してる学生、子供連れ、老人しかいない。
ときどき不安になる。お前一生このまま独りで生きていくのか?って。パートナーが欲しいとかそういうことじゃないんだけど、独りじゃないのだと思えるものが欲しい。
外に出たいけど、外に出たくない、人と話したいけど、話したくない、恋したいけど、恋したくない。矛盾ばかりでできている。
簡単に解決できる呪いなのか、それとも根深いものなのか、自分の呪いの深さが未だに測定できない。