最近何だか許せないものが増えた気がする。なんというか許容できないもの。不寛容になっているような気がしてならない。まだ若いのにどんどん他者を受け入れられなくなっている。

私はなにが好きでなにが嫌いか、なにが得意でなにが苦手なのか、そういうものがわりとわかるようになってきた。世界というか自分の解像度が上がってきている。

それはいいことであると同時に、食わず嫌いのような決めつけが顕著になっていくことを示している。やる前からどうせ楽しくないと決めつけ、何かを始めることがおっくうになる。そういうきらいは昔からあって、それをなおそうと最近は少しずつだけど挑戦をしている。

私はなにが好きでなにが嫌いなのか、ナイフでも研ぐみたいに鋭く鋭く言語化していく。するとぼんやり嫌ってたものが、はっきりと嫌いになる。嫌いなものばかり鋭く光り輝いていく。

今日、本屋さんに行った。たまたまついでにという感じ。ノーベル文学賞のハン・ガンの小説を買おうと思った。ずっと図書館で探していたのだけど、誰かに借りられているのか、なかなか見つからないので、どうせいつか読むし買うかと思った。

私は今年に入ってから、一冊も小説を買ってない(歌集は数冊買った)。図書館で借りられるのならその方がいいという結論になったからだ。紙の本は場所を取るし、お金もかかる。今後一生、出版業界にお世話になって生きていくのに、それでいい?のとも思う。

でも出版業界より残念ながら私の心身の方が大切なのだ。仕方ない。

たまには本を買うかと思った。置く場所はあまりないけど、一冊くらいなんとかなるだろうし、たぶん私の好きなタイプの小説だろうと、あらすじも何も知らないのに直感的にそう思ってる。そういう勘には自信がある。

結果から言うと売ってなかった。ノーベル文学賞!ドンッ!!みたいな感じで置いてあると勝手に思っていた。もう流行りは終わってしまったのかもしれないし、そもそもそんな特設売り場みたいなものは作られなかったのかもしれない。世界は私が思っているより文学なんてどうでもいいと思っているのかもしれない。

少しがっかりして、海外文学の棚に行って見たけどそこにも置いてなかった。誰かがすでに買ってしまったのだろう。

欲しい本が売ってない、そういう私は客じゃないというか、マジョリティからズレてきているということを最近ちょくちょく感じる。前もその本屋さんには短歌の本が置いてなくて同じようなことを感じた。

本屋さんや図書館にはすべての本が置いてあるのだと勝手に思っていたけど、そうじゃないんだなと知る。私の趣味が深いところまで来ているのかもしれないと少しうれしくなり、同時にさびしさも感じる。

はい、もうわかりました、私はあなたのところでは本は買いません、ふん。みたいな気分で家に帰ってきた。本屋さんなんてすべて滅んでみんな電子になればいいんだ。出版業界なんて知るか。

まあ、本屋さんも大変なんだろうなとは思う。本は売れないし(そもそも売ろうとしてるのだろうかとは思うけど)、地域的にメインターゲットは家族や、漫画を読むような人々、あとはビジネス書を読むサラリーマンとかなんだろう。売れないものを置かないのは当たり前といえば当たり前。価値観が違うのだ、と思う。

最近価値観が違うのだとよく思う。いつしか流行りものを見ることすらなくなってた。まだ若いのに若者文化からすでに取り残されている。それはよく考えれば今に始まったことじゃないのでいいのだけど、不寛容になっていくことが怖い。

tiktokは一切見ないし、VTuberも見ない。生理的に受けつけないのだ。でも本当に生理的に受けつけないのか、それとも逆張り的な感情で突っぱねているだけなのかわからない。

色んなものを広く受け入れていくべきだと思う。それで言うと私は映画も見ないし、音楽も決まった人しか聞かない。映画も音楽も好きなものは絶対にあるはずなのに、受けつけないものの数が多すぎる。どうしてこんなに潔癖なのだろう?

でもその中でも好きなものがどんなものなのか少しずつわかってきてはいる。映画だったら、邦画はなぜか内容が頭に入ってこないので、洋画の方が好き。音楽はボカロのようなひとりでひっそりと作ってるものが好きみたいな。

映画も音楽ももっと色んなものに触れたいのだけど、どうしてかなかなか難しい。狭い自分だけの世界で生きていけるほどの度胸もない。

マシュマロ


マシュマロ作りました。文章が匿名で送れます。コメントとかお題?相談?などお待ちしています。

https://marshmallow-qa.com/qut6j87f0bseenh?t=FvXI3R&utm_medium=url_text&utm_source=promotion