弱さしか信用できない。弱くありたいとよく思う。それでいて、強くありたいともよく思う。弱さと強さというのは表裏ではなく、とても近しい関係にあるような気がする。例えば戦っている証としての涙とか。

涙を流せる人は強い人だと私は思う。自分の弱さを認めるというか、泣くことって弱さと向き合うことのような気がする。私はそれが怖くて泣くことができない。人前ではもちろん、ひとりのときでも。

最近ヒーローの強さの方向性が変わってきたよなと思う。むかしは悟空とかルフィみたいな怖いものなんてありませんみたいなヒーローが多かった。でもいまはヒロアカのデクみたいな震えながら戦うヒーローも増えてきた。

怖いものと向き合うことがを強さだと私は思う。向き合えてなくても逃げずに立ち向かっていくことも強さだと思う。例えば学校や仕事に毎日泣きながら立ち向かう人たちはとても強いと思う。弱いから涙を流しているわけじゃない。必死に立ち向かっている証拠なのだ。

そういうものを強さと言いたい。

嫌なことと真っ向から向き合って、思いきり泣ける人が好き。傷つくことがわかっているのに、どうして直視してしまうのだろう。きっとそれを乗り越えないと次へ行けないからだ。

私は色んなものごとから逃げてきた。それでもなんとかなっているのは恵まれているからだろう。遠くに壁が見えたらすぐさま引き返すし、自分が傷つきそうな気配がしたら逃げたり目を背けたりする。

むかしより生きやすくはなった。でも何かが欠けてしまったような気もする。それはもともとなかったような気もする。わからない。

何かに真剣に怒ったり、絶望したり、死にたくなったりすることはほとんどなくなった。それを大人になったと表現することもできるだろう。大人になるとはつまり感性が錆びついていくことだ。色んなことが上手くできるようになる。社会で生きるのに感性なんてものは邪魔でしかない。

でも私は社会で生きていきたいわけじゃないのだ。私はもっと別のところで生きていきたい。

錆びついた感性は涙でしか洗い流せない?

弱くありたい。できるだけ小さくありたい。それでいて強くありたい。

マシュマロ


マシュマロ作りました。文章が匿名で送れます。コメントとかお題?相談?などお待ちしています。

https://marshmallow-qa.com/qut6j87f0bseenh?t=FvXI3R&utm_medium=url_text&utm_source=promotion