村上春樹の風の歌を聴けだったと思うけど「好きで金持ちに生まれたわけじゃない。俺のせいじゃない」みたいなセリフがあった(軽く探したけどちゃんとしたセリフが見つからなかった)。正直初めて読んだときというか、これまで何度か読み返してきたけど、よくわからないセリフではあった。ただずっと惹かれる何かがあった。

最近になってようやくその意味がなんとなく分かるようになった気がする。少し大人になったのだと思う。

私の最近のテーマのひとつに「私は恵まれた環境にいる」というものがある。主に家庭環境のこと。ちょっと前に親の嫌いなところを書いてただろう、と思う方がいるかもしれないけど、それはそれ、これはこれというか、それもこれ、これもそれという感じ。

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何不自由なく生きてきた。今の日本社会で不自由に生きるということがイマイチ想像できないくらいには不自由なく生きてきたのだと思う。

各家庭の平均値がわからないから何とも言えないけど、金持ちではなかったし、貧乏でもないと思う。普通よりちょっと上くらいなのかなと思っているけど、実際のところはわからない。

欲しいものはだいたい買ってもらえたし、中学校くらいで塾に入れさせられた(そのことで私はさんざん文句を言った)、私立の大学にも行かせてもらえた。バイトもせず実家から通うことができた。今は社会人になって独り暮らしをしているけど、こまごまとした支援のようなものを受けている。

前にも書いたような気がするけど、私は親の教育方針もあってみんな当たり前に大学に行くものだと思っていた。だから高校生になって意外とみんな大学に行かないのだと驚いたりした。私の小中学校の同級生の何割が大学に通っていたのだろう?半数もいないんじゃないだろうか。知り合いが全くいないのでわからないけど。

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大学くらい行ったらいいのにと思っていた。お金がないなら多少がんばって国立の大学へ行けばいい。ほんとにそんな感じに思っていた。

私は恵まれてるんだなって気づいたのは大学について周りが真剣に考え始めたころで、奨学金とか国立大学に行かなきゃみたいな話を耳にするようになってからだった。

会社に入って、同期には専門学校卒の人が何人かいた。私は専門の人と同等の評価なのかと落ち込んだけど、たぶん間違っていない。面接がダメダメだったので、大学の名前だけで入れたんじゃないかと思ってる。

その人らは20とか21とかで社会に出てきているわけで、私が何もしてなかった期間を社会で過ごすのかと思うとすげぇなという感想にしかならない。

どうして専門学校なの?と聞いてまわりたいけど、そんなデリカシーのないことはさすがの私でもしない。多くの人は学歴にコンプレックスを持っているのだ。どんな学歴であれ。

純粋に学力が足りなかったのだろうか。それでもどこかしらの大学には入れるだろう。またお金の話になってしまう。

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私より勉強のできる人は5万といるけど、それと同じくらい私より勉強ができない人がいる。そういうことがわりと昔から不思議だった。

私は大した努力をしてこなかったから、私よりできない人がいるということが不思議だった。

友達に明らかに私より勉強しているのに、いつも私より点数が悪い人がいた。どう考えも要領が悪かった。私が1回で理解できることを2回3回と聞いてようやく理解するという感じ。

そういうことも含めて私はこれまでの努力の成果だと思っていたこともあったけど、持って生まれた資質によるものがあるということを知った。

そこでも私は恵まれているんだなと思った。私だってそれなりに受験勉強をしたけれど、同じだけしてたらみんな同じ結果になるわけじゃない。

そういう先天的な資質で私はこれまで生きてきたのかもしれない。努力という努力をしてこなかったのだ。

勉強も運動もそれなりにできたからクラスでいじめられるようなこともなかったし、それなりに勉強したら、大学に入れたし、就職もできた。

やっぱり私は恵まれている。

もちろん私より恵まれてる人は5万といる。しかし恵まれてない人はきっとそれ以上にいる。

そういうことがときどき、私の心を苦しめる。ろくな努力もしないでここにいることが、恥ずかしいというか、劣等感に感じることがある。

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私の会社には外国の方が何人もいる。出稼ぎという表現が正しいのかわからないけど、きっとそういう人たち。

異国で働いているだけでもすごいのに、その人たちはみんな日本語で会話をして仕事をしている。私は英語すら喋れない。それなのにきっと私の方が今後評価され、昇進していくのだ。日本語が話せる大卒男というだけで。

なんだかおかしな世界だとよく思う。

私が評価してほしいところは評価されずにどうでもいいところばかり評価される。これはただのわがままだけど、上で書いた私の友達には絶対に私なんかより幸せになってほしいと思ってる。これは本当にずっとそう思ってる。そういう世界じゃなきゃいけないのだ。

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主題というかタイトルの話をする。私は好きで恵まれてるわけじゃない、と思うことがたまにある。

ある人から見たら私は恵まれてるだろうし、ある人から見たら私は恵まれていないように映る。そして私から見たら私は分不相応に恵まれている、というか私はもう少し恵まれないで生まれてきたかったという思いがある。

すごくよくない言い方だと思う。上手く言葉にできない。いや、その言い方も違う気がする。やっぱり当たり前だけど恵まれた状態で生まれてきたい。

でもそういうのって私のせいじゃないのだ。私は選んでない。恵まれている人はその恵みを享受して努力していかなければいけないのだろうか。

ここまで書いてようやくわかったのだけど、私は努力したくないだけなのだ。私が私の恵まれで生きて何が悪い。

努力の天才という言葉があるけど、努力できることだって才能で持って生まれたものなのだと思う。正直大抵の得意不得意は先天的な資質によるものだと思ってる。

だから私より恵まれてる人は5万といる。しかし恵まれてない人はきっとそれ以上にいる。ということは忘れないようにしていきたい。そう思えば変にコンプレックスとかを感じなくて済むような気がする。

マシュマロ


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