日記を書くのは楽しい。仕事をしながら、家事をしながら今日は何を書こうかと考えている。ただ大抵は書かれることなく、私の中に沈んでいく。これを書こうと思って書き始めてもなんだかんだ脱線して違うことを書いたり、書き忘れてしまったりする。それって日記の役割を果たせているのだろうかと思うけど、まあ、それでもいいやと書いてる。

木下龍也さんの「天才による凡人のための短歌教室」にアドバイスとして思いついたアイデアはなるべく書くなとある。文字にしてしまうと固定化されて自由な発想に制限をかけてしまうからだという。

それを読んでたしかにそうだと思った。言葉にするというのは感情を型にはめることだと思う。何でもいいのだけど、クッキーを作るときみたいに型で切り取るとどうしても切れ端のようなものが出てしまう。

そういう感覚は文章を書いていると常にあるし、常に持っておかなければいけないと思う。100%は伝えられないのだ。ならそのパーセントを少しでも上げていこう。もしくは言葉にせずに持っておこう。まだ言葉にするべきときではなかったのかもしれない。

でもこうして文章を書くことを生きがいとしてると、そういうのってもったいなく感じる。思いついたらすぐ書きたいし、何でも形にしたい。私は忘れっぽいからすぐにさっき何考えてたっけ?となる。

それでもそのときが来るまでじっと我慢して待ち続けなければいけない。そういうのもある種の才能なんだろうなと思う。キャパシティ的な。それに忘れたからって完全になくなるわけじゃない。そういうのは私の文章の血となり肉となると信じたい。

「一度あったことは忘れないもんさ。思い出せないだけで」千と千尋の銭婆も言ってたけど、そういうものを信じていたい。

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特に意味はないのだけど、なんとなくいつも日記には悩みを書いてる気がする。今回の悩みは私って何もない人だということ。つまらない人。

休日何してるの?と聞かれる。「本読んでます。図書館に行きます」と答える。半分ホントで半分ウソ。残念ながらそれだけで休日を過ごせるほど私は本好きじゃない。他に何をやってるのかとよく聞かれる。みんな本に興味がないのだ。私は考える。でもそれ以外全く思いつかない。

私は文章を書いてることを誰にも言ってない。だから趣味は?みたいな質問にいつも困ってしまう。色々気をきかせて聞いてくれるけど、ほとんどNOと答えてしまう。

どこか行くの? ゲームはする? お酒は? 外食は? 友達は? NO、NO、NO、NO、NO、、、

嘘はつかない。ほんとにNOなのだ。するとじゃあこの人は普段何をやってるのだろう?となる。何にもない人だと思われるし、私もそう勘違い(と自分で言うのは変だけど)してしまう。

実際は文章を書くことがそれなりの時間を占めている。調子のいいときなんかは一日中小説を書いてるときもある(最近はほとんどないけど)。ただそのことは言えない、というか対人モードのときはきれいさっぱり忘れているので、私は何をしてたのだろう?となる。

正直、色々と面倒だから隠してるだけで、特に理由があるわけではない。どうせ理解されないだろうから言っても無駄だと思ってる節もある。ただ私のことを知ってもらうとか、新たな出会い?を求めるなら積極的に言っていくべきなのかもしれない。別に変なやつだと思われたっていい。そうでしょ?

それに私は創作的な人が好きだ。結構重要な気がする。それを前提としてその趣味、特に言葉の趣味が合うかどうかを大切にしてる気がする。

別に創作をしてる人じゃなきゃ仲良くなれない!ってわけじゃないと思うけど、私スタートではあんまり興味がわかないかもしれないと思った。私に興味を示してくれれば別なんだけど。そういった意味でも文章を書いてるくらいは言ってもいいのかもしれない。それが今日考えたこと。

マシュマロ


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