納豆を10年ぶりに食べた話
少し前に父と買い物に行ったとき「納豆いるか、ああ納豆食わないんだったな」と言われて、私はそういえばそういうキャラでやってたなと思った。そのときは納豆を買わずにそのまま買い物を終えた。
昨日、一人で買い物に行ったとき、たまたま納豆が目に入った。そして納豆は体にいいとか、コスパがいいという話を思い出して買ってみた。食べられる体に良いものは積極的に取っていかなきゃと思うくらいには偏食で、私の中で納豆はその体にいい私が食べられるものだった。
そして今朝、納豆を食べようとしたとき自分が少し緊張していることに気がついた。何というか裏切りのような罪悪感を感じていた。
私がどうして納豆を食べてこなかったかというと、小学校のころ納豆嫌いな友人がいて、給食のとき彼に食べないでと言われたからだった。彼は大の納豆嫌いだったらしく、冗談半分で給食中ずっとマスクをつけていた。
彼と私はいわゆる親友と呼んでいい仲だったと思う。保育園のころからずっと一緒だった。価値観や考え方のようなものは違かったと思うのに、不思議と波長がぴったり合っていた。二人で一つじゃないけれど、相棒のような常に隣にいる人という感覚が幼いながらにあった。
納豆の話に戻ると、当時の私は納豆を好きでも嫌いでもなかったので、納豆を食べなかった。納豆なんかより彼の方が大切だったからだと思う。そのときから私は納豆を家でも食べなくなった。
両親がそのことをどう思っていたかわからないけど、私は大量の嫌いな食べ物を持っていたので、そのひとつに納豆が加わっただけという認識だったと思う。そうして私は納豆嫌いになった。
その彼とは同じ中学に行ったけど、部活が違かったり、趣味が合わなかったりでだんだんと疎遠になった。たしか中学3年のとき同じクラスになったのだけど、私はちょうどそのころから人との話し方がわからなくなってしまって、現在進行形で仲の良い人以外との関係を遠ざけていた。
申し訳ないことをしたなってときどき思うし、当時もそう思っていた。でも何をどう話せばいいのかわからなかった。いまもそう。だから中学を卒業して以来、彼とは会っていない。
そんなことを思いながら納豆を食べたわけだけど、想像していた通りの味で美味しくも不味くもないといった感じだった。そのわりにはねばねばするし、くさいしといいことがない。本当に体にいいならときどき買ってもいいけど、そうじゃないならもう買わないかなと思った。
給食のことで一つ思い出したことがある。
私は当時(いまもだけど)野菜が食べられなくて、それは彼も同じだった。小学校低学年のころって、わりとそういう子が多くて私も彼もその一人という感じだった。そんな私と野菜嫌い同盟を組んでいた彼が、小学校高学年くらいのときに平然とごぼうサラダを食べてるのを見て衝撃を受けたのを覚えてる。
裏切られた!と思った。仲間だと思っていたのに。
学年が上がるごとに、当たり前だけどみんな好き嫌いがなくなっていって、私だけが取り残されているような気分になった。食べ物を残すことってすごく罪悪感があるのだけど、それでも私は給食でときどき出る納豆は食べなかった。
たかが納豆だけど、それが10年以上続いていたのだから一種の呪いや信仰のようなものを感じてしまう。
彼に関する話はもう一つだけあって、中学に上がりたてのころか小学六年のころ、彼は習い事で世界大会まで行った。いつか行くんだろうなと思っていたから驚きもなかったのだけど、彼はそのお土産(ハワイに行ったらしい)で私にボールペンを買ってきてくれた。
ものすごく使いづらそうなダサいボールペン。当時使っていたものがあったから、私はそれを筆箱に入れてずっと使わずに持ち歩いていた。それは黒一色のボールペンで、中学のころなんてシャーペンと赤ペン青ペンしか使わないから、いつまで経っても前に使っていたやつのインクがなくならなかった。
結局私はそれを一度も使わずに、いまも筆箱の中に入れている。ここまで来たらもう使うことはないと思う(そもそもまだ書けるのかわからない)。
人からもらったものって使いづらい。それに使い切ったら捨てなきゃいけない。だから上手く使うことができなかった。単純に好みじゃなかったというのもあるけど。
さっきも書いたけど、そういうのって呪いとか信仰みたいで気持ち悪いと自分でも思う。たぶん彼は私のことなんて覚えてもいないとは言わないけど、思い出すことなんてないと思う。過去を引きづり続けるような節が私にはある。
例えば昔、仲が良かったけど、いなくなってしまったツイッターのffさん。名前のイニシャルが私の本名のイニシャルと同じで、未だにスマホで自分のイニシャルを打ち込むと、予測変換で名前が出てくる。
当時は私の名前より先に出てきていたのに、いまでは予測変換の順番がどんどん後ろに下がっていく。そういうのって本当に気持ち悪いなと思いながらも、いま何やってるんだろうってぼんやり考える。そして私はずっと変わらないな、ずっとここにいるって思う。
彼のボールペンも納豆もそうで、私はずっとあのころから変わっていないのだと、その証のように持ち歩いている。いつかふと出会ったときに、そういうものを持ち寄って見せ合いたいんけど、そんなことを思っているのは私だけなのだろう。
みんな変わっていく。私だってそう。納豆食べた。変わらないものは過去くらいだけど、過去だって人によって違う。彼はきっと私がここに書いたことなんて何ひとつ覚えていないだろう。
マシュマロ
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