自分らしく生きて
私は関わる人全員に「これで嫌われたら仕方ない」という気持ちで話しかけたりしてる。私はたぶん人に囲まれて生きるより、基本は一人で少数の人と関わっている方が好きなんだと気づいたから。
昔は誰かに嫌われることを恐れていたけど(いまも)、出会った全ての人と関わっていく必要はないし、私の場合は大抵の人を関わらなくてもいい人の方に分類してしまう。
私を嫌う人はそもそも価値観が違うのだから、関わっていく必要がないのだと思う。もちろん切れない縁というのはあるだろうけど、私の場合はそんなに多くはないのかなと思う。
ひかえめに生きてるから、誰かに明確に嫌われたという記憶はないのだけど、ちょっとしたことで私何かしたかなって思ってしまう。最近snsでいいねつけてくれないな、とか。
でもそういうのって気にしても仕方ない。どんな人にも見えない部分ってある。私だって最近忙しい。
私は受動的な恋が多い。ここでいう恋というのは恋愛だけでなく広義な恋。人から些細なアプローチがあってそこから好きになるみたいなことが多い。
どうしてだろう。自分から接触したら嫌われるかもしれないという考えがきっと拭えていない。頭ではそんなことないってわかってるんだけど、自信がないのだと思う。
人間、誘うより誘われたい人の方がいいから誘う側に回れと最近読んだ本に書いてあった。全くもってその通りだと思う。
そもそも他人に対して情みたいなのが薄くて、人の話は大抵共感できなくてみたいな経験から関わることを避けてしまっている。
言い訳ばかり並べてしまっている。ってことはもっとたくさんの人と会うべきだなってことは100年前から結論がついてる。
こんな話をするつもりじゃなかった。
嫌われてもいいということは、もっと自分を開いていけるということ。私は内に閉じこもりすぎてるから、現実世界でも最近では外に開く努力をしている。
どうせ理解されないから言わないんじゃなくて、理解してくれる人がいるかもしれないから言う。
べつに理解されなくてもいいじゃないか。私もあなたたちのことは正直あまり理解できない!!
私はいまノルウェイの森を読んでる。読むたびに私は永沢さんにあこがれる。もちろんああなりたいわけじゃない。ただ、ああいうタイプの強さにはあこがれる。
自分に同情しない。
人生に理想は必要ない。必要なのは行動規範。
自分がやるべきことをやる。
理想は必要なく、必要なのは行動規範という言葉が最近の私のテーマになりつつある。
Aという状況のときは必ずBをする。これを徹底することで、自分がたどりつくべき場所に到達する。
今日は引越しだし、来週からはもっと忙しくなる。死にたくなるだろうけど、がんばって生きていこう。死にたさの類は消えないって最近読んだ本(20代で得た知見)に書いてあったし。はあ。