毎日日記のようなものを書きたいと思ってはいるけれど、いかんせん日常がない。たぶん私の一か月をまとめたって日常的な日記は書けない。日常的というのは「今日は○○をした。どこどこへ行った。楽しかった、悲しかった」のようなもの。

昨日の私の日記を書くとすれば、一日中(4、5時間)小説を書いていた。2000字くらいしか書けなかった。つらい。かなしい。ばかみたい。になる。

たぶん興味の幅が極端に少ないことも原因の一つだと思う。食に興味がない(むしろ好きじゃないくらい)のがなんか勿体ないというか、毎日強制発生イベントをコンテンツ化できないのは多方面で損をしているような気がしてならない。その分他の趣味があればいいのだけどこれといったものがない。

日記というのは日々思ったこと感じたことを言語化するためのものだと思う。言語化することで自己理解が深まるのはわかるし、私はこのnoteにずいぶんそういった面ではお世話になっている

恋愛に関してひたすら言語化していった時期があって、おかげで恋愛というものに以前ほど興味がなくなった。簡単に言うと飽きた。恋愛によって自分が何を思い感じるのかを知りたいだけだったのだと思う。ある程度予想が立てられたのであとは実験してそれが正しいのか確かめるだけなんだけど、家で一人で実験できるわけじゃないからイベント発生待ち。

言語化の話しに戻るけど、一人で生きていると、何かを言語化していく必要がなくなる。誰かに伝える必要がなくなるから。

例えば、いま朝の7時半なんだけど、それを「7時30分」と言語化して理解するのではなく「朝の早い時間」抽象的な概念として理解するようになる。何でもいいのだけど、飛行機を見ても「飛行機が飛んでる」と思うのではなく「ああ、あれがいるなぁ」くらいに思うようになる。

「そういえば昨日あれ飛んでたな」と思ったとき、「あれ」といえば自分の中では飛行機がイメージできるので「飛行機」とわざわざ言語化する必要がない。だから人と話すときに単語が出てこないことが多い。

良く言えば脳を通さず直接心に情報を入れている。悪く言えば頭を使ってない。

でも、こうして自分の考えを言語化するのは趣味なので、常にぼんやり生きてるわけではない。むしろずっと考え事をしている。ただ言語化する必要のない物事を区別しているだけなのだと思う。

私の脳内には殴り書きのメモみたいなものが散乱していて、noteはそれをまとめて整理しているために使っている。いま書いている言語化のことだって、初めて思ったのは一か月二か月くらい前な気がする。ふとたまたま思い立って時間もあるのでメモたちを整理している。

でもメモにならないものたちいる。言語化することを放棄した感情のことなんだけど、それらはいったん心の中に置いておく。そういうのって大抵、言語化する前に忘れちゃうことが多いんだけど、心の中で忘れる分にはいいかなと思ってる。心に吸収されたんだろうって。頭で忘れるのと心で忘れるのはちょっと違う。

時間がたたないと言語化できない物事ってたくさんあると思う。自分が未熟だったり、ふとしたときに理解できるようになっていたり。だから言語化しないで心に置いておくことを私は悪いことだと思っていない。

そうして心に置いておいたものの言語化、理解に私は小説を使う。自分の力じゃ綺麗に言語化できないから物語にする。

小説を書くときは、心に溜めておいたものから「そろそろいけそうだな」というのを選んでそれを小説にしていく。例えは何でもいいのだけど、いまの私の力でこのポケモンを捕まえられるかなみたいな感じ。戦って弱らせて捕まえる。

だからもう殴り合いだと思ってる。武器として言語化して整理したメモたちが使える。

マシュマロ


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