雑談(多様性)
大学の一年生のころだったと思うけど、多様性に関するレポート課題が出た。当時、多様性という言葉の意味が全く理解できず、イライラしながらレポートを書いたのを覚えている。
人と人が違うのは当たり前なのに、何を言ってるんだろう。世界的に問題にするほどのことだろうかと思っていた。いまでも若干そう思っている。
自分が社会に属した経験がなくて、それに社会と関わろうという意思がなかったからピンとこなかったのだと思う。
小中高大と共学の学校に通っていたけれど、そこで差別的なものを感じたことはあまりなかった。それは私が男性だったからということもあるだろうし、性自認も男性であったからだと思う。
でももし私の性自認が女性だったら、色々と思うことは多くあったと思う。区別は必要だし、多数に合わせて少数が切り捨てられるのも仕方がないと思う。でもきっと議題にすら上がっていなかったんじゃないかな。今は分からないけど。
多様性ってこういうことかと思った。
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当時の私は学校のすべてが嫌だった。ジェンダー的な話をするんだったら、人前で着替えるのは嫌だったし、トイレも嫌だった。個人的な話なら修学旅行は行きたくなかった(死んでやろうかと思った)し、そのことで私は未だに世界を恨んでる。
私の学校生活の場合、上の二つは許容できる範囲だった。ただ修学旅行は許容範囲を超えている。死のうかなんて考えるのはあまりよろしくない。だから「行かない」という選択肢を選ぶよねというのが多様性なんだと思う。
今の修学旅行事情は知らないけど、私の時代にも「行かない」という選択肢はあった。それはあくまで選択肢としてあるだけで、実際に選択できるのかというのは別問題だと思う。
もう少し一般的、社会的な話をすると、私はノンバイナリーなんだと思う。例えば服装。私は本当に着たい服は女性的なもので、でもだからといって男性的な服に違和感があるとか無理とかはない。ただ一から十まで女性ものを着たいかと言われたら違う。
幼いころから私は服の趣味などに関して両親からやんわり否定され続けてきた。その色は変だとか、なんだとか。それに私に向けたものじゃなくても多様性的じゃない発言もよくする。
別に両親のことを悪く言うつもりはない。どう思おうが、私に何を言おうがその人の勝手だと思っている。これは私の多様性的な考えのひとつ。あんまりよい考えじゃないのかもしれない。
服の話に戻ると、人の感性にあれこれ言うのはよくない。それに男性用女性用と言い切るのもよくない。私は背が小さくて痩せてるので、男性用だとサイズがない。だから区別をなくして、異性的なものも手に取りやすくしてほしい。まあ、生産の問題があるので難しいのは分かる。
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「ノンバイナリーなんだと思う」とふわっとさせているのは、恐怖から来るものだと思ってる。だって言い切っちゃえばいいんだもん。私はノンバイナリーなんだあなたには関係ないだろうけど。
ただ、まだどこか理解されないこととか、偏見、そういう人と見られることへの恐怖がある。
そういう人もいる、という考えはどこか排他的な雰囲気がある。自分とは関係ないと線を引いてるような感じがする。別に悪いことだとは思わないし、私もそっちよりの考え。
理解というのは誤解を集めて作るものだし、理解というのは誤解が集まってできてるものだと思ってる。
そういう人もいるみたいな考え方とか、ラベリングとかは真の多様性のための過程のひとつなんだろうと思う。ただ私は多様性の目指す先、行く先が想像できない。