「N/A  年森瑛」という小説を読んだ。たまたまこの小説がクワロマンティック的だという記事(?)を読んだのがきっかけだった。ちなみに半年くらい前に一度読んでいる。

初めて読んだときもたまたまで、全く別の場所で二度、目に止まったので買った。そういう縁は大切にしていきたいと思ってる。

初めて読んだときに魅かれたのは、主人公の女子高校生の体重が40キロ未満で生理不順であるという設定。

私も低体重なので興味がわいた。ただ彼女は生理が嫌だから体重をわざと落として生理を止めていた。私は普通に生きていて彼女と同じような体重だった。私は生物学的には男なので生理はないし、健康も問題ないはず。

ずっと自分の体重がコンプレックスのひとつだったけど、まあその話はいつか。

私は初めて読んだとき女性性の否定のような小説だと思った。ちょうど男性性、女性性みたいなことを考えていた時期だったし、そういう話を読みたくて買った。実際、そんなに間違ってないと思う。

二度目に読み返したのは、この小説が「クワロマンティック的な関係」の話と読むことができるみたいな記事を見たからで、そういえばそんなことを言ってたかもなと私は思った。

この小説では「かけがえのない他人」という表現を使っていたと思う。恋愛関係でも友人関係でもない、それでいて強い繋がりのある関係という意味だと思うけど、いまの私にはとてもしっくりくる表現だった。

初めて読んだときはふーんと読み流していたと思う。でも読み返してみると共感できる文章が結構あって驚いた。私の中にある上手く言えない部分が言語化されていた。

この小説のテーマとか感想を自分の言葉で上手く言語化できる自信がない。嫌いなもの不快なものの言語化はスラスラできるのだけど、気に入ったものの言語化は苦手。

この小説から私が感じたテーマは、人間関係における自分の役割とか、相手からの見え方、相手の見方とか、そんな感じ。なんかピッタリな言葉があった気がするけど思い出せない。

例えば生理がある人というのは女性として見られる。実際にその人が女性として見られたいかは関係ない。低体重の人は拒食症だと思われる。実際はただ生理が嫌なだけなのに。

他にも女性が女性と付き合っていたらレズビアンだと思われるし、ダイエットをしてると言えば、見た目を気にしているのだと思われる。

そういう他人の中で自分じゃない自分が形成されていくのが嫌。そしてそれは知らず知らずのうちに自分も同じこと行っているということ。

私が常にそう感じているからか、私はそう感想を持った。

ここからは私の話になる。私はいわゆる気にしすぎな人で、他人からの見え方をすごく気にする方だ。

それは小説の感想で言ったのと同じ理由で、だから本当は自分が男だとかクワロマンティックだとか明言したくない。

例えば男なのに〇〇な人とか、男だからきっと〇〇なのだ。みたいなイメージを持たれたくない。ただ嘘をついて女性としてのイメージを持たれるのも嫌なので、曖昧な感じになってる。

だから普段は普通から外れた設定は明かさないようにしてるし、「たぶん」とか「かもしれない」みたいな曖昧にする表現をよく使ってしまう。

例えば私が「恋愛とか分からないんだよね」と言ったら、相手はモテない言い訳だとか、まだ出会ってないだけ、アセクシャル、みたいに思うだろう。

でも実際はどれも違くて、本当に分からないんだよ。でもそれをきちんと理解するのは難しい。たぶん「かけがえのない他人」というのはこういう感覚的なものを完璧に理解してくれる人を言ってるんだと思う。

「モテない言い訳じゃない?」「まだ出会ってないだけだよ」

そうだよ、そうかもしれないよ。でも違うんだよ、そうじゃないんだよ。

カッコの中は何でもいいのだけど、この違うんだよのニュアンスを理解してくれる人を求めている。

理解されずに他人の中に自分じゃない自分が形成されていくなら、隠していた方がマシだと本当のことは話さずに、ありきたりなことばかり話してしまう。

この手の話はだいたい「きちんと話し合っていくしかないね〜」という結論にしかならないと思ってる。それができたら苦労しない。

自分の感覚を1から10まで自分の言葉で説明するの無理で、それを相手に理解してもらうのはもっと無理。

だから人は「自分はこう見られたいです」ってラベリングをするんだろうけど、適切なラベルが見つからない人はどうすればいいのだろう。

N/AというのはNot Applicable、該当なしという意味らしい。