自分で書いた小説の中で「愛してる」という言葉を使ったことがあっただろうか。覚えていないけど、パッと思いつかない。

私が小説を書いてきたのは自分の中にある本当の言葉を見つけるためだったのかもしれないと、こういうときに思う。

本当の私を見つける鍵はきっと今まで書いてきた小説の中にあるのかもしれない。小説を書いてきてよかった。結果としてはまだ何も残せていないけど、意味のない行為じゃなかった。

創作をするというのは濁りのない自分と向き合うことだ。自分の中にある本当の言葉を掬いだす。

エッセイや日記のようなものだと、書く文章はどうしても羞恥や見栄や配慮のような不純物が混じってしまう。

私は自分の心内を純粋に話すには創作に頼るしかないのだ。私にとって創作は「会話」なのだとよく思う。不器用なのだろう。自分自身でさえ、自らの小説を読んで初めて気づくことがあるのだから。

私は「愛」がわからないと思った。これまで書いた小説で「好きだ」という言葉はよく使ってきたけど「愛してる」と言わせたことはあっただろうか。たぶんほとんどない。不思議だ。

愛してるなんて小説を書いてたら100回は書くセリフじゃないのだろうか。

いままで誰かを愛したことがなかったのね。あなたも、あなたが書く人たちも。

そもそも永遠を誓ったことがない。たぶん一人のことを永遠に思い続けるという行為の意味を本当のところでは理解できていないのだと思う。

そういう関係を私は望んでいないのかもしれない。いつも最終的には一人になる話ばかりを書いている気がする。私にとっての人間関係はそういうものなのかもしれないなぁ。

家族愛とか友愛、大切な人のような言葉を見る度に孤独を感じる。孤独にはそれなりに慣れているつもりだけど、やっぱり孤独を感じるのは辛い。

私の小説は恋愛をテーマにしてるものが多い。私は恋愛のことを救いあいだと思っている。だから私の小説では主人公が相手を救って、それによって自分も救われるという形をとることが多い。

私はそれを恋愛だと思っていたし、そればかり書いているので実際に恋愛をしたい、救いあいをしたのだと思っていた。

でもたぶんそれは違った。主人公は言うまでもなく自分の投影で、相手も私自身なのだ。たぶん私は私が救われたいだけ。登場人物に自分を分け与え、それを互いに救いあわせてるだけなのだ。

私のここ最近のテーマは自己愛。まず自分を愛さなきゃ、まず自分を救わなくちゃ、誰も愛することなんてできない。そう思ってきた。

さて、どうだろうね。たぶん私は全てを自己完結したいのだと思うよ。