雑談(性別)
・私の性別
私という一人称にすごくしっくりくるときと、そうじゃないときがある。
私が私と言うとき、それはすべて嘘なのかもしれないと思う。
それは私が男性だからだろう。自分のことを男性として見られたいのか、女性として見られたいのかよく分からない。ただ嘘はつきたくないので、定期的に自分で言うことになると思う。でもそれがけっこう嫌だ。
顔も名前も分からない私のことを性別関係なく見てる人の方が多いのかもしれない。それはありがたいことのような気がするのだけど、私自身が他人をそういう性別を無視した見方みたいなのができない。
よくないと思うのだけど、この癖はなぜか治らない。
・一人称
私は普段、僕と俺を人と場所によって変えている。でも俺と言うのは違和感があるけど、とっさに出るのは俺で、僕に変えていかなきゃなぁと思ってる。
基本的にはここでしか私と言わないのだけど、自分の中で私が定着してきたなぁと思う。この前ツイッターでリプを送るときに文章を”私”で考えててたことがあった。
そっか、この人には”私”で接したいんだと思った。でもそこでは”僕”で通してる(?)ので”僕”に変えた。僕ぼくボク僕。
性別にグラデーションがあって割合で示すと
俺:2、僕:4.5、私:3.5のような感覚。この感覚を性別という言葉で括りたくはないけれど、分かりやすいし一番近い表現だと思う。
私のよく分からないところは、この割合を僕:5.5、私:4.5くらいにしたいと思ってるところ。そういうのって自分で変えていくものじゃなくない?と思うのだけど、できる気がするから仕方がない。
男女のバランスを一人で完結できそうで、生きやすそうだなぁと思っている。
・こころの性
自分の性別がどっちかと聞かれたら男性と答えることに違和感はない。その他に入れるという考えもない。そもそもその他ってなに?
違和感がないのは性別という言葉は肉体の性別を指すものだと思っているからだと思う。でも例えば手術とか他人の目とかなしに、体の性別を選べたら女性を選ぶと思う。
疑問なんだけど、こころに性別ってあるの?
心の底から違和感なく、私のこころの性は男です女ですって普通は言えるものなの?それは思い込みのようなものじゃなくて?本当に男と女を区別できるの?
私は20年以上生きてきて、性に違和感を持つようになったのはここ最近で、それはそういうものだと思っていたから。でもそうじゃないのかもしれないと思ったら違和感が出てくるのは当たり前な気がする……けど
・理想の自分
“私”で書いているときは理想の自分を語っている節がある。私は自分の醜さをすべて捨て去りたいと思っている。プライド、承認欲求、性欲、嫉妬……
そういうものをすべて捨てさろうとしてるのが”私”で、その醜さを持っているのが”俺”の部分なのだと思う。この20年くらい男性として社会的に生きてきた部分を捨てたい。
美しくなかったら生きていたって仕方がない。この言葉が心から離れない。
・他者
私の世界には他者がいないと人と話したり、同じように悩む人のnoteなんかを読んだりすると思う。
どうにかして一人で完結できる生き方をしたいと思ってる。だから自分の生きづらさを社会に求めたりはあまりない。
社会に属している感覚がないのだと思う。でも来年からいわゆる社会人なので、そしたらマイノリティ的な生きづらさを感じるのかもしれない。
・・・
誰かに見つけてもらいたいのだと思う。本当の私を。
でも人のことを信用とか信頼とかできずに生きてきたから、信用した人に裏切られたときのことを考えると生きれないって思う。
正直、色んなことの価値観とか考え方みたいなのが人とズレてるから、勝手に理解されないんだと思うことに慣れてしまった。
たぶん私の体と心をすっかり飲み込んでくれる人を求めているのだろう。いつかそのときが来たときのために、自己理解のための文章を書いてる。